中学生シリーズ、続きです。中2までずっと成績は悪かった(勉強しなかった)ですが、高校受験を目前にした中3の時に、突然勉強を始めました。私は昔から虚栄心が強く、人からバカにされることが大嫌いで、いつか見返してやろうとずっと思っていました。私をバカにした人達より上位の高校に入れば見返すことができるだろう・・・と考えたのです。1年以上も勉強をサボっていましたが、そのブランクを埋めるのは、さほど時間はかか
11年前の5月25日、のび太はお母さんの元に産まれて来ました。おなかの中で2度、逆子になったのび太。へその緒がたすきがけのように手足に絡まっていて難産でお医者さんが脚立に上がっておなかを押すのと吸引とでやっとこさ~って感じで生まれたのび太。今思えばおなかの中でも落ち着きの無い子だったんだよね~お母さんは、卵巣の手術もしたし、子宮内膜症だったし赤ちゃんはそう簡単には授からないだろう、と言われたし仕事バリバ
昼間、家に居る事の多い僕に回ってきたのは、ベンの学校での保護者会の役職。お母さんがかなりの確率で働いているNYでは、昼間にある学校の会合に出られるという人も限られており、必然的に白羽の矢が立ったというわけだ。とはいっても、1月に1度程度の会合のスケジュールを会わせれば良いので、予定を合わせて出席すれば良く、学校の状況も良くわかりとても有り難い。おまけに役員ということで、時には大きな会合にも出席することが出来る。先日ミッドタウンのホテルで行われたYAI(National Institute for People with Disabilities)のワークショップは4日間にわたり一日中いくつもの講習がおこなわれており、そのうちの1日に参加することが出来た。毎日500人以上が参加する朝の10時から5時までのプログラムは3、4の講習を自由に選ぶ事が出来る。来場者は保護者が1/4程度でその他は障害者教育の関係者というビジネス調な雰囲気。さながら自閉症フェアといったところか、クラスの合間には名刺交換をする人の姿も多く見受けられた。バラエティ豊かな講義の中から迷いつつ最初に受けたのは、障害者(この団体は基本的に自閉症グループとダウン症が中心)の性教育。これからのベンにとって一番の課題となるべくもので、参加者からの質問のやり取りも興味深い。昼からは、自閉症の自己刺激についての対処法で、これも実践的なもので参考になったが、最後に受けた音響セラピー( Sound Based Therapy )と呼ばれる新しいメソッドについてが今回の一番の収穫だった。
さて、そのランランな夫、オ・オレ?息子(長男)の大学受験の時期、志望校の絞込みやら、オープンキャンパスでの下見・・などなど細かい事から大事まですべて私任せ・・・
修学旅行に行ったタンコロは、先週の木曜日に帰ってきたんだ。行くときは、いろいろトラブルもあったけれど、旅行中はかなりハイテンションになったらしく、その元気さに担任の先生も、交流学級先の先生も、校長先生も驚いていたらしい。タンコロは、会話がままならないからね、旅行に同行した先生たちの話からしか、その様子は推し量れないけど。なんでも、初日は、有り余った体力に、いっぱいの友達と好きな先生たちに囲まれて、
昔は鬱々したブログ記事を書くのに使っていた時間を、今は自転車で外を走っている。昨日の午後は花脊峠を越えて北へ行き、芦生峠を越えて戻ってきた。むろんノンストップで越えられるほどの脚力はなくて、とくに鞍馬から花脊峠の登りは何回休んだか数えるのもうんざりするくらいだが、それでも押して歩くことはなく、越えるには越えた。越えて峠の向うへ降りたものか、謙虚に峠からまたこっちへ引き返すべきか、登りつつちょっと迷った。なにせ花脊峠を越えて向うへ下ったら、帰宅するにはどうあってももう一つ峠を越えなければならないはずだから。しかし峠では沈思黙考の間もなく向うへ下ってしまった。峠の向う側(北側ですね)で路面を舗装しなおす工事が行われているらしく、土曜午後で工事関係車両はいなかったものの路面はいちめんに砂埃で覆われていた。それほどがたがたはしなかった。峠の南側の鞍馬から峠までの路面がそうとうひどい道だったし、ESCAPE R3のアルミフレームとクロモリフォークもそれほど振動を上手に処理してくれるものではなし、路面にはあまり贅沢を言える立場ではない。花脊の山の家には子供たちも学校行事で宿泊に行くので、話はきいていたが、予想以上に大規模な建物だった。あれは数百人くらい泊まれるんだろうなと思った。おそらくは集落の人口の数倍は泊まれるはずなんだが、その人数が排出する環境負荷をこの土地は支えきれるんだろうか。花脊から先しばらくしてバス停留所の標識の形が変わる。バス会社の表示にテープを貼って消してある。