「上品さ」を私は美徳のなかでもかなり上位にランク付けしている。上品な人は、自分が受けている待遇はつねに標準以上のものだという前提で動く。だからことさらに要求する必要を感じておられない。自分の必要とすることをさらっと伝えてこられる。そして必要が満たされたら、標準以上の待遇がされたさいになされるような、丁寧な御礼を常にくださる。そういう人に対しては、こちらも奮起せざるを得ない。というか、どんなに疲れていても、そういう人に相対してその疲れが増幅されることはないように思う。心理的にも体力的にもなんらの負担の上乗せなく、気がついてみると自分でも驚くほどの機嫌の良さ気前の良さで、めいっぱいなサービスをしている。上品な人の態度をみていると、この人らは、我々が提供したサービスがどのようなものであろうと、自分に提供されたのならそれは標準以上のサービスなのだとお考えのようにさえ見受けられる。そのようにお考えであればこそ、彼らが受けるサービスがそのお考えの結果として標準以上になるという機転があるように思える。読者諸賢には当然にご賢察賜れることと思うのだが、ここでいう丁寧な御礼とは金銭など物質的なものを伴うという意味ではなく、あくまで物腰や言葉使いに現れる態度としての御礼である。丁寧なお言葉をいただくほうが、床に投げられた小銭を拾わされるよりも遙かに嬉しいものではなかろうか。上品でない人、当院ではめったにお目にかからないのであるが、土地によってはそういう人が主流を占めている場所もあるらしい。
昨日の記事を読んで、我ながら頭悪そうな記事を書いたなと思った。直截すぎて芸がない。やれやれ。そこで挽回を図ってみる。 新潮選書 零式艦上戦闘機清水 政彦 / 新潮社表紙に「れいしき」とふりがなが振ってあったので、うっかりこっちが「ゼロ戦」と読んだら敵性用語だといって鬼の首を取ったように居丈高になる類の、面倒くさい著者なのかなと思った。読んでみたら、それほど思い込みの強そうな印象ではなかった。ただ、どこかで書評を読んでなるほどと思ったのだが、この著者はゲームを通じて零戦に親しんだ人ではないかという印象を、私も受けた。零戦の機体や機銃弾に関する考察が、いちいちシミュレーションくさい。そらまあ実機を飛ばして実弾を撃って実験するわけもいかんから仕方ないんだろうけど。本書でなされた重要な指摘は2点だと思う。1点目は、ガダルカナル戦あたりまでは、現場で零戦を飛ばしていた面々はそれほど劣勢に立たされているような気はしてなかったんじゃないかということ。総計してみれば相当に戦力を失っていたんだが、一回一回の戦闘での損耗はそれほど大きくなかったので。2点目は、昭和18年になるまで、日本は割の単位で勘定するのが適切なくらいの莫大な戦力損耗というのを経験していなかったということ。イギリスなどヨーロッパの連合国はドイツとの開戦直後にそのような巨大な戦力の損耗を経験していたし、アメリカも直接参戦はしていなかったにしてもその情報を得ていた。まあ対日戦も緒戦はぼろ負けだったしね。
カメ君はM字マークのポテトが大好き{%ポテト(チカチカ)hdeco%}このポテトでさえもカメ君なりの成長が感じられるので、今日はそれをご紹介します。まずこれまでの「ポテト」経緯を簡単に。1.M字ポテトが美味しいと気付き大好きになる。ハンバーガーは食べない。2.Mサイズが足りなくなると怒るようになったのでLサイズを買うようになる。3.それでも足りなくなるので私のポテト(L)も横取りするようになる。4.私のポテトも「ボクの分」と思うようになり、2つのLサイズポテトを手で囲う...
「光とともに・・・」の作者、戸部けいこさんが1月28日に亡くなりましたね。お気の毒です・・・。「光とともに・・・」今までに何回読み返したでしょう。ひかる君がどう成長していくか、家族のあり方はどう変わっていくのか。ツヨと歩む傍らにずっと一緒にあり続けてくれると勝手に信じていました。ベッドに書きかけの遺稿があったそうです。担当編集者が、何とか完成させて15巻の中学卒業でストーリーを完結させたい、と語っているそうです。ひかるくんにそっくりなツヨ。今度はこちらが戸部さんに成長を見せようね。ご冥福をお祈りいたします。 よろしかったら応援のクリックをお願いします!
kyotoさんの「他者のために生きる~発達障害の方向」を拝読して大変共感した。自分も「他者の為に生きよう」と思って思わぬ力を発揮できた時があったからだ。それは、前のプロジェクトの終了直前の時期だった。前のプロジェクトの最後の頃、自分は一人で仕事していた。・前の上司も身近にはいない、完全な一人プロジェクト・不具合が見つかり連日23時まで残業・お客様に電話で呼ばれて・・・
戸部けいこ先生の訃報から一ヶ月が経ちました。当地でも今日から店頭に並び始めました。が、いつも以上に買われているような気がします。なんだか店頭の在庫が少なく感じます。『 光とともに 』 を連載してきた フォアミセス では 緊急追悼特集として この4月号と来月発売の5月号に未発表遺稿を連続掲載するようです。フォアミセス編集部の ”【訃報】読者の皆様へ”を一部転載させていただきます。 「ひとこと“自閉症”と言えば、何の説明もいらない社会を願って!」 その思いから生まれた『光とともに…~自閉症児を抱えて~』は、2000年の連載開始当初より、多くの読者の方々、取材をさせて頂いた多くの方々に愛され、支持されてきた作品です。勝手な思い込みかもしれませんが『光とともに…~自閉症児を抱えて~』には、自閉症児者を持つ家族の思いや希望がたくさん込められています。スペシャルな子育てをする中で この作品にどれだけ癒され励まされたことか・・・。ときには家族の代弁者になったり、またときには家族への助言者であったり・・・。殿父が書店のレディースコーナーでウロウロすることも来月で終わりです。戸部先生、お疲れ様でした。本当にありがとうございました。
大淀の事件に判決が出たとのこと。かつてコメントした身としてはなにか言及しておかねばならんと思う。白状すれば最近はほとんど医療関係のブログは読んでいない。たぶん飽きたのだろうと思う。あんまり明るい気分にはなれないし、他所の暗い気分まで背負えるほどのゆとりはないし。かえって妻の方がいろいろと情報をあつめてくれていて、適宜ダイジェストしてくれている。さいきん何を読んでいるかについてはメディアマーカーにこまめに記録をするようにしているから適宜ご参照ください。判決の内容については、大筋では最善のものだったのではないか。病院や医師の責任を問うものではなく、医療体制の充実を訴えている。裁判官としては訴えられている人以外に関してはそういう形でしか言及できないんじゃないかと理解している。さいきん医療紛争にかんしてあまり酷い報道は見かけない。この事件の報道を巡る議論がされたころからではないかと思う。それとも私が見ざる聞かざるを決め込んでいるだけか?毎日新聞をはじめとしたマスコミは奈良県南部から産科の医療事故を一掃するというおおきな仕事をした。むろん只ではなく、その代償として奈良県南部から産科医療そのものを一掃してしまうことになったわけだが。これはコストとベネフィットの関係で考察すれば多少コストが大きすぎたように思う。マスコミの報道の正体をさらけ出したという余録もついたが、それを勘定に入れても犠牲が大きかった。
前の記事とも関連あるお話なのですが…少し前にブログ読者から、辛口なご意見(誹謗中傷では無い)を頂いたことがありました。普段なら少々辛口なご意見を頂いても素直に受け入れていましたが、その時ばかりは珍しく反論を返してしまいました。しかし最終的には私が折れました。その方から頂いたご意見を要約すると、このようなことです。『失敗や困難を「障害の特性によるもの」と言うならば、得意な事や成功した事も「障害の特性