新生児関連の勉強会やなんかで、初対面のひとに自己紹介につづいて「ブログ読んでます」とか言われてそれっきり会話が途絶えたりすると、陰で何を書くか分からん嫌な奴という扱いをされたような気がしたりする。まあその通りなんだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。先の論文は勉強になりましたとか言われるような仕事をしていないから、なおよろしくないんだろうとも思う。公式の業績をあげないうちにブログなんか書き出してしまうと、キャリアになにか変な色が決定的についてしまうってことかなとも思う。とにもかくにも、読者諸賢におかれましては、武士の情けってことで、オフラインでこのブログのことに言及したときに私が「返す言葉もない」状況に陥ったとしてもご容赦いただきたく、ご高配の程を。
本屋さんに立ち寄ったら見つけました。『 発達障害に気づかない大人たち 』 星野仁彦 本の帯紙には次のような文章が。 「片づけられない」「すぐキレる」「話を聞けない」―― 子どもたちではありません あなたのことです!! そりゃあ にんげんだもの!ていうか、大なり小なり みんな何かしら持ってると思うですけど、あたしゃ もしごく普通に生活しているつもりの人が、発達障害の特性を自分自身の中に確信したとしたら その人は その特性を”障害”として受け入れられるのかな?子ども達の発達障害は まるでブームのように賑わっているけれど 発達障害の特性が特別視されるのではなく、多種多様のひとつの有り様として、ごく普通のおとな達にも周知されていくとみんな生き易くなっていくんじゃないだろうか。ただ、”障害”という表現をまだまだヘビーに感じてしまうのも現実かな、と思う。そう考えると、この『発達障害』というネーミングそのものが理解や共感にブレーキをかけているような気がしないでもない
ルパ~~ン三世 徳川の秘宝を狙え毎度。トットです。パチンコは等価にかぎる。うむ。さて、今日は僕の話。興味の無い人はスルー。僕は物心がついたころから人とは違うことがあった。数字に色が付いてるいた。1はピンク・2は黒・3は黄色・4は赤・5は緑・6は薄い茶色7は金に近い色・8は紫・9はエンジ色に近い濃い赤・0はオレンジに近い色僕は全ての人がそうだと思っていたのだが小学校のころに人と違うことに気付きなぜか
やっと、やっと書こうと言う気持ちになってきました 書くってことはパワーが充電出来ていないと書けないものなんだなと今回の事で痛感しました・・・何が原...
通信講座、速学トレーニングのお申し込みを明日一時締め切ります。お申し込みご希望の方、もしくは4/1より申し込み再開の際に塩田より連絡をご希望の方は...