零式艦上戦闘機

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Nice!

昨日の記事を読んで、我ながら頭悪そうな記事を書いたなと思った。直截すぎて芸がない。やれやれ。そこで挽回を図ってみる。 新潮選書 零式艦上戦闘機清水 政彦 / 新潮社表紙に「れいしき」とふりがなが振ってあったので、うっかりこっちが「ゼロ戦」と読んだら敵性用語だといって鬼の首を取ったように居丈高になる類の、面倒くさい著者なのかなと思った。読んでみたら、それほど思い込みの強そうな印象ではなかった。ただ、どこかで書評を読んでなるほどと思ったのだが、この著者はゲームを通じて零戦に親しんだ人ではないかという印象を、私も受けた。零戦の機体や機銃弾に関する考察が、いちいちシミュレーションくさい。そらまあ実機を飛ばして実弾を撃って実験するわけもいかんから仕方ないんだろうけど。本書でなされた重要な指摘は2点だと思う。1点目は、ガダルカナル戦あたりまでは、現場で零戦を飛ばしていた面々はそれほど劣勢に立たされているような気はしてなかったんじゃないかということ。総計してみれば相当に戦力を失っていたんだが、一回一回の戦闘での損耗はそれほど大きくなかったので。2点目は、昭和18年になるまで、日本は割の単位で勘定するのが適切なくらいの莫大な戦力損耗というのを経験していなかったということ。イギリスなどヨーロッパの連合国はドイツとの開戦直後にそのような巨大な戦力の損耗を経験していたし、アメリカも直接参戦はしていなかったにしてもその情報を得ていた。まあ対日戦も緒戦はぼろ負けだったしね。日本だけが、この時点に至るまでついに、ほんとうに厳しい戦争というものの経験がなかった。戦争のたとえ話で医療を語るのはよろしくないとは言いながら、この分析には他人事の気がしない。今も私は日々淡々とNICU仕事をしているし、身の回りでそれほど困窮した状況を見聞きしているわけでもない。でも後になって振り返って集計してみれば、ああ俺がのんきにやってたあの頃も実は刻々と事態が深刻化していってたのだなと、悟らされてほぞを噛むことになりそうな気がする。それにもまして、いよいよ追い詰められて、損耗率の莫大さが目に見え始めて以降どういうことになるかなと。かつての軍部みたいに現代に幅をきかせている医療業界が、一気に崩壊するようなことになるのかなとも思う。ちなみに、連合艦隊の最後の旗艦は「大淀」といった。艦名の由来は宮崎県の川らしいけどね。奈良県の地名じゃなくて。