無事に1日目が終わり、2日目は、起床後、おにぎり作り、朝食。そして体育館で毎日やっている朝の運動のあと、そのままもう一日14:45まで学校の授業。・・・先生方も気がつかなかったのです。宿泊学習の分で、つまり朝食でスケジュール表が終わっていることに・・・。ツヨは体育館で朝の運動をしながら、あれっ?帰れないの・・・?終わりじゃないの?という表情になり、鼻を赤くして泣き出したそうです。どれほどスケジュール表を頼りにしていたのでしょう。先生達は口頭では授業があるよとか、言っていたかもしれませんね。というか、先生も他のこども達も、当然そう思っていたという感じでしょうか。ボクには分からなかった・・・。ちょっとショックでした。「来年への反省点です。」お迎えのときに、先生がすぐ事の次第を説明してくれました。ショックですが、考えてみればそういうことは家庭でもあることです。かわいそうでしたが。ちなみに、ツヨは朝の運動を泣きながらもやり続けました。みんながやっているのを見て、流れを見て、自分がやるべきことを察しました。運動が終わる頃には落ち着いていたそうです。集団生活でしか学べないこと。家では見せない、学校で過ごすときの強さ。ひょっとして、いつか成長して集団で暮らすことになった時。
う~・・・、さぶい・・・。急に寒くなってきましたが、皆さん風邪などひかないようにしてくださいね。↓は、99年10月のひいちゃん。 昔、「オレ...
上の子が間もなく小学校を卒業するので「どこか行きたい所ある?」という話から、我が家としては異例のこの時期に旅行することになった。行き先は現在プチ歴女の上の子の要望に応え、姫路城・岡山の美観地区、それと京都だ。急に決まった旅行のため、宿の手配やら下調べが大変!それにカメ君用に写真入りの日程表を作らねばならない。ああ忙しい忙しい!!!と言ってる間に日程表が出来たのが前日。カメ君に表を見せながら予定を確認した。カメ君がニヤリと反応したのはもちろん「新幹線」。そして「JR」「おしろ(姫路城)」「ホ...
日曜日の午前9時に、新生児搬送があるといって呼び出し。土曜からの当直明けの医師が超低出生体重児をつれて帰ってきた。それきり日曜はNICUですごし、かなり重症で帰るに帰れず泊まり込み、多少落ち着いたかなと思いながら月曜はすでに決まっていた当直で泊まり、火曜の午前中までNICUに居た。火曜の午後は聾学校へ行って気管切開の講義を2年ぶりに行って、質疑応答の雨あられを受けて帰宅。その後に他児の病状説明で夜にまた出勤。こういうむちゃくちゃな日程で仕事するのは最近マンパワーが増えてからは久しぶりのことではあった。とくに体力仕事をしたわけでもなく、たとえば超低出生体重児の入院時処置(中心静脈確保とか)は若手が行ったし、私はひたすら指示出しばかりだった。おそらく船長とか艦長とか言われる人々はこういう仕事の仕方になるんだろうと思った。しかしひたすら判断を求められ続けながらNICUで52時間、その後に講義と質疑応答1時間ちょっと、それから病状説明で1時間弱。そうそう楽なことではなかった。帰宅したらもう何もする気が起きなかった。飯と風呂をどっちにするかと妻に聞かれるのさえ物憂かった。もうすぐご飯は炊きあがる、風呂もバス乾燥の洗濯物をどけて沸かしなおせばよいのだけど、とか状況説明を受けても、どっちという選択をするのがつらかった。なんでこんな落ち込んでるんだろうと考えて、ああなるほど「判断」に疲れてるんだと気がついた。でも同じことを俺らはNICUでやってるよねとも思った。
朝起きてびっくり!自動車に雪が積もってる!明日は降らないでほしいなぁ・・・。↓は、女の子とよく間違えられていた頃のひいちゃん。 ...