障害の特性。

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Nice!

前の記事とも関連あるお話なのですが…少し前にブログ読者から、辛口なご意見(誹謗中傷では無い)を頂いたことがありました。普段なら少々辛口なご意見を頂いても素直に受け入れていましたが、その時ばかりは珍しく反論を返してしまいました。しかし最終的には私が折れました。その方から頂いたご意見を要約すると、このようなことです。『失敗や困難を「障害の特性によるもの」と言うならば、得意な事や成功した事も「障害の特性によるもの」なのです。なのに、その成功を「才能を発揮した」とか、「努力が実った」などと解釈して誇りに思ってはいけない』…というご指摘でした。私は失敗ばかりの人生ですが、数少ない成功例を挙げるなら、高校や大学の受験に合格できたこと。その成功が、その後の人生にまったく役に立たなかったにしても、合格できたこと自体は成功だと思ってます。それを誇りに思うのは間違っているのでしょうか。私が合格できたのは、障害のおかげなのでしょうか。そこに私の「努力」は存在しなかったのでしょうか。いやそんなことは無い…努力したはずだ…と思ったので私はたくさん反論しましたが、さらに厳しいお答えが返ってきました。『あなたは努力して学力を上げて受験に合格したのではなく、障害の特性として先天的に持っていた高い記憶力を利用しただけに過ぎません。才能を発揮したのでもなく努力が実ったのでも無いのです。』確かに、同じ高校や大学に合格した人達と比較すると、おそらく私の勉強量は全然少なかっただろうなとは思います。少ない勉強量で合格できたのは、集中力と記憶力に長けたアスペルガーの脳を持っていたおかげかもしれません。そう考えると、この方の仰ることは正論かもと思えてきたので、最終的にはこのご意見を受け入れました。でも・・・改めて考えてみると、とても悲しくなってきました。何をやっても人並みに出来ないのは、障害の特性によるものだった。学業だけは人並み以上だったのに、それすらも障害の特性によるものだった。「私」という人間は、障害以外で出来ている部分が無いのでしょうか。私の唯一の自尊心の拠り所を失ってしまったような気持ちです。ここを読んでくださってる方々はいつも優しいご意見を下さるので、「そんなことはないです。あなたは努力しています。誇りに思っていいんです。」と仰って下さるかもしれません。でもそういったご意見下さる方は、発達障害当事者や親御さんが多いので、苦労を知っている分、優しい意見になるのだと思います。「当事者でもなく親でも無い」という立場で厳しく考えると違ってくるのでしょうか。ちなみにこの辛口意見を下さった方は、当事者や親ではありませんが、発達障害の勉強をしていると仰ってました。