久々にパソコンを開いた・・・
ツヨのインフルエンザに続き、
コトが胃腸炎。
まぁ、吐いたこと吐いたこと。
水分が取れなくて、夜中に怖くなって救急へ連れて行き、
点滴してもらってきました。
無敵のコトも胃腸炎には勝てなかった。
でもすごーくがんばっていたので
見直しました。
今日はツヨが学校から帰ってきたら
今度は下痢・・・
どっちもどっちだぁ・・・・
でも水分が取れるだけいいか。
どちらにしても
洗濯機を昨日今日で何回回したか~
しかも今日は恐る恐るツヨをおふろへ入れたら・・・・
湯船に浸かりながら
(この流れ、コワイコワイ。
お食事中の方はご遠慮ください)
う〇ちは×よ。トイレでね。
と
唱えて入っていたら・・・
ん。とうなづくツヨ。
次の瞬間ツヨの眉間にシワがっ!
ゴボウッ
・・・って?!
ぎゃー!
すぐにツヨと飛び出て
栓を抜いた私でした・・・
あっすみません。
ちなみに夕方、
コトの習い事にお休みの電話をして
「娘ですが、胃腸炎になったので今日はお休みします。」
と言って電話を切ったら、
コトいわく
「ママ!私が一兆円になったってどういうこと?!♪」
応援、励みになりまーす^^;
「奇跡①、②」の続きですのでそちらからお読みください。手術しなければならない状況は全く見当たらなくなり、あとはずっと寝っぱなしだったためにとにかく体力が低下した。ふつうに真っ直ぐ歩くのもフラフラする。そこで、リハビリ開始。最低限の家事が出来るよう…という意味合いだったが、リハビリの先生いわく、「もう、まっぷーさんくらい回復してれば 家に帰って普通に家事したほうが よっぽどリハビリになる」とか(笑)と
「奇跡①」の続きです。「奇跡①~③」までの連載ですので 順番にお読みください。実はのび太には学校に旦那が、部活をしないで帰宅するように…と連絡し、旦那、のび太、両親で私の病状説明を医師から聞いたらしい。この疾患での死亡率50%生存者でも麻痺や障害が残る確率30%手術せず麻痺も障害もなく退院出来る確率10%未満のび太は医師の説明を聞き、部屋を出て病院の廊下のソファに座り、「僕はお母さんにまだ何もしてあげてな
「奇跡①~③」の連載です。長いですがお付き合いください。私が緊急入院した日は、のび太は定期テストの日でした。朝、洗濯物を干してる時、急に体調を崩し、これはただ事ではない、尋常じゃない体調の変化…立ち上がれない…激痛…とっさに旦那の携帯に電話。しかし、旦那は仕事柄、仕事場への携帯は持ち込み禁止になっていて、控え室のロッカーに置くことになっているので、一か八かの電話でした。時間的にはもう無理か…?しかし、た
運動が苦手な光。学校では、バスケをするにしても、サッカーをするにしても、パスが回ってくることが少ないようです。 彼の学校には、明日の予定や...
まこちゃんは今年の5月で20才になります。
幼稚園に入る前の・・・療育に出会う前の(6才以前)・・・
あの絶望の暗闇トンネルの真ん中で 泣いてばかりいた頃を思えば・・・
まこちゃんが20才になる?なんて〜〜〜
そんな先のことなんて夢見ることも無くて、20才になったら 大人になったらどうしよう・・と
思っていました。
大人になっていくことを考える事はとても怖い気持ちでしたね・・・。
いまも不安はたくさんあるし・・夢や希望と言われても・・・
普通発達の人達のように学校を出て社会に出て会社勤めをするような生活は望めないのですから
夢や希望と言われても・・・??と思うことはありますが・・・
少しずつでも成長しているんだと思っています。
まこちゃんが障害を発症して 言葉も無くして 私達の記憶さえも無くしたあの頃に見た夢・・・
小さかったあの頃、障害発症前のころのように「パパ ママ」と私達を呼んで欲しい
あの頃のようなおしゃべりじゃなくていいから・・「片言でもいいから 話をしてみたい」
そして「いっしょに出かけて、楽しいって笑えたら どんなに幸せだろう・・」
という当時のことを思えば 普通の子供なら何でもないことが
まこちゃんにとっては・・とてもハードルが高いと思っていた夢も かないました。
友達の切実な話を聴いて(読んで)、他人の話(気持ち)に共感するってなんだろう?って考えた。(というかいつも考えている)
「他人の気持ちをわかる」ことはできない。そんなことは当たり前。生きてきた人生も、体験した事実も違うのだから。別々の人だから。
人と人に...