奇跡 ①

1
Nice!

「奇跡①~③」の連載です。長いですがお付き合いください。私が緊急入院した日は、のび太は定期テストの日でした。朝、洗濯物を干してる時、急に体調を崩し、これはただ事ではない、尋常じゃない体調の変化…立ち上がれない…激痛…とっさに旦那の携帯に電話。しかし、旦那は仕事柄、仕事場への携帯は持ち込み禁止になっていて、控え室のロッカーに置くことになっているので、一か八かの電話でした。時間的にはもう無理か…?しかし、たまたま、寸での差で旦那が電話に出た。「具合悪くて激痛で立てない… 助けて…」車で10分程の職場で幸いでした。3月に手術した県立病院にすぐ連れていってもらいました。激痛…立てない…救急治療室でとにかく苦しくて激痛で、「痛い痛い苦しい苦しい」を、叫び続けていました。叫んでいないと気を失いそうだったから。「大丈夫ですよ~ちょっと眩しいのが良くない場合に備えてアイマスクしますね」と、言われ視界を閉ざされたことが余計に恐怖を感じ、「怖い~見えないのが怖い!!」と、叫んでました。余りの激痛、苦しさに、「また、手術しなきゃいけないんですか? 私、もう、手術はイヤです!!」と、叫んだのも記憶にあります。主人が救急治療室に呼ばれ、レントゲン、CT など撮りますので服を脱がせたんですが、無理に身体を動かせないので裁断してもよろしいですか?いろいろ試したのですが結婚指輪が外れないので専用ヤスリで切ってもよろしいですか?と、聞かれていたのも全部聞いていた。結婚指輪、これ、自分でなら外せるんだけど…と、思ってたけど右手を左手の結婚指輪まで動かすことすら出来ない。どんなヤスリかわからないが旦那とペアリングの結婚指輪が切られ、外された。その時、ふと、「私、死んじゃうかもしれない」と、ふと、思った。そのあと、レントゲン、CT…までは記憶にある。そのあとは、個室のベッドで点滴やら心電図やら酸素やら…いろんなものをつけられた状態だった。その時はもう、痛みも苦しさも全くなく、ボーッとした状態。両親、義母、義弟(妹は膝の靭帯手術で某大学病院に入院中だった)の顔を見たのはうっすら記憶にある。前回の手術後、閉所恐怖症のせいか酸素マスクが嫌で鼻だけにつけるタイプに変えたことを思いだしたのか、「今日はこれで良かったじゃん」って笑って言ったのも覚えている。しかし、のび太の記憶がない。のび太はあの日、私の姿を見たのか?旦那や祖父母の配慮で病室に入らなかったのか?あ、今回の病気は3月の手術とは全く関係ない病気です。続く