佐賀県の安永さん取り押さえ死亡事件を受けこの先 殿を どうしたら守っていけるのだろう・・・最近、漠然とそんなことを考えていた国連では「障害者権利条約」が採択され、障害当事者にとって人権等の環境が整備されつつあるように思う。千葉県では「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」を制定し、” 差別 ”を具体的に捉え、文字通り誰もが暮らしやすい町づくりに取組んでいるらしい。https://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/c_syoufuku/keikaku/sabetu/jorei-home...「 障害を知って、そして、理解してほしい 」 たしかにそう思う。「be動詞+動詞のing形」 = 現在進行形 と認知されるのと同じくらいに、世間に「障害」が認知されるといいな、と思う。だけど、社会通念上の障害理解が進んだとしても、障害当事者が個人として誰かに或いは地域に理解されたり関わりを持ったりすることは別次元の話のような気がする。法律や条例など環境整備にくわえ、個人レベルで認知、理解されることが当事者自身を守ることにつながるのではないだろうか。知的な障害を持った女性を毎週のように見かける。生来なのか、自傷なのか知る術も無いが片方の眼球は白く機能していない。年齢は60歳代だろうか。彼女は自宅前の道路を散歩するのが習慣のようで、近くにあるお店に一日に何度も立ち寄っているようだ。店の人もお客さんもジロジロ見るわけでもなく、かと言って無視しているわけでもなく、ウロウロしているのが当たり前のような雰囲気がその場にはある。
もう ほんと 連日 パニック。こちらが何かを聞いても「答えない」「聞くな」「言うな」一切返事をしないし全く会話にならない。会話をすることを拒む。そのく...
土曜日、つばさの学校行事でした。創立者の三木安正先生は昭和25年に創立し、卒業のない学校を目指されました。職業訓練をし、福祉園で就業します。(一般企業に就労する方もいます。)それを青葉の集い、勤労感謝祭などで販売します。たくさん買ってきました。この他にもパン、ケーキ、梅干を買ってきました。
本日#%V:2%##%V:3%##%V:1%#、サークルすてっぷの勉強会に講師として出かけた。#%V:38%##%V:196%##%V:198%#「自閉症の理解と啓発」というテーマで講演、懇談を含めて午後1時30分より5時ごろまで、参加者50名弱で保育士さんが全体の9割近く参加していただいた...
☆ 発達障害のある子の保護者の皆さんにお願い ☆ 今の日本では、自殺や虐待、心中などの記事が、新聞に載っていないことのほうが少ないという...
今日も[https://php.com/:title=PHP]に行ってきました。 いつも出る月に1回の定期的な法律の勉強会です。 割と知った顔が多いので、法律以外にもいろいろな情報を交換し、私の友達は、割と9月からの進路が決まっているということがわかり、進路がきまっていない渡は、ちょっと困った状態です。 とりあえず、方針は、決まっているので、これをどうやって、みんなに理解させるかが、焦点です。 長丁場の夏です。
正しく葬るというのがだいじなことなのだろうと思う。と、内田樹先生のお言葉を流用してみる。内田先生の原典としては明日は明日の風と共に去りぬ-2002年11月の11月29日分を念頭に置いている。ここで内田先生の御名前を出すのは、オリジナリティは私自身も主張しないかわり人まねだというご批判はスルーさせていただきますという宣言である。虎の威を借ろうとか責任を回避しようとか言う魂胆はないつもりだ。人間に限らず、ものごとにはそれなりに寿命というものがあり、いずれかの時点でこの世から去ってゆく。でも去ってゆくものも、それを見送るものも、その「死」を迎え、送り、その後の時間を過ごすための、それなりの作法あるいは条件といったものがある。死者(人間に限らずだが)の正しい葬りかたとも言えようか。去りゆくものには、去りどきだと悟っていただくこと。これまでの自分の有り様を自分自身で肯定していただくこと。去った後の、後顧の憂いというものをなくしていただくこと。書いてて、なんだかすごく不遜なことを書いてるような気がしますが。しかしこれはおそらく昔から言うところの「成仏」ということではないかと。見送る立場のものに求められるのは、何をおいても去るものへの敬意。去るもののこれまでのありようを認めること。私の理解では、昔からこれを「供養」と言うと思ってるのですが、それがないと、そもそも去るものを去らせる自分を肯定できないと思う。
キャストの一般公募にこだわったの、私です。 ホームページ上で、ずっと公募すると言...