佐賀県の安永さん取り押さえ死亡事件を受けこの先 殿を どうしたら守っていけるのだろう・・・最近、漠然とそんなことを考えていた国連では「障害者権利条約」が採択され、障害当事者にとって人権等の環境が整備されつつあるように思う。千葉県では「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」を制定し、” 差別 ”を具体的に捉え、文字通り誰もが暮らしやすい町づくりに取組んでいるらしい。https://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/c_syoufuku/keikaku/sabetu/jorei-home...「 障害を知って、そして、理解してほしい 」 たしかにそう思う。「be動詞+動詞のing形」 = 現在進行形 と認知されるのと同じくらいに、世間に「障害」が認知されるといいな、と思う。だけど、社会通念上の障害理解が進んだとしても、障害当事者が個人として誰かに或いは地域に理解されたり関わりを持ったりすることは別次元の話のような気がする。法律や条例など環境整備にくわえ、個人レベルで認知、理解されることが当事者自身を守ることにつながるのではないだろうか。知的な障害を持った女性を毎週のように見かける。生来なのか、自傷なのか知る術も無いが片方の眼球は白く機能していない。年齢は60歳代だろうか。彼女は自宅前の道路を散歩するのが習慣のようで、近くにあるお店に一日に何度も立ち寄っているようだ。店の人もお客さんもジロジロ見るわけでもなく、かと言って無視しているわけでもなく、ウロウロしているのが当たり前のような雰囲気がその場にはある。そんな空間が出来るのに、どのくらいの時間がかかったのだろう?どんな営みが展開されてきたのだろう?気持ちを上手く伝えられない殿の”身近な理解者”をどれだけ残してあげられるのだろう・・・