判断に疲れる

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Nice!

日曜日の午前9時に、新生児搬送があるといって呼び出し。土曜からの当直明けの医師が超低出生体重児をつれて帰ってきた。それきり日曜はNICUですごし、かなり重症で帰るに帰れず泊まり込み、多少落ち着いたかなと思いながら月曜はすでに決まっていた当直で泊まり、火曜の午前中までNICUに居た。火曜の午後は聾学校へ行って気管切開の講義を2年ぶりに行って、質疑応答の雨あられを受けて帰宅。その後に他児の病状説明で夜にまた出勤。こういうむちゃくちゃな日程で仕事するのは最近マンパワーが増えてからは久しぶりのことではあった。とくに体力仕事をしたわけでもなく、たとえば超低出生体重児の入院時処置(中心静脈確保とか)は若手が行ったし、私はひたすら指示出しばかりだった。おそらく船長とか艦長とか言われる人々はこういう仕事の仕方になるんだろうと思った。しかしひたすら判断を求められ続けながらNICUで52時間、その後に講義と質疑応答1時間ちょっと、それから病状説明で1時間弱。そうそう楽なことではなかった。帰宅したらもう何もする気が起きなかった。飯と風呂をどっちにするかと妻に聞かれるのさえ物憂かった。もうすぐご飯は炊きあがる、風呂もバス乾燥の洗濯物をどけて沸かしなおせばよいのだけど、とか状況説明を受けても、どっちという選択をするのがつらかった。なんでこんな落ち込んでるんだろうと考えて、ああなるほど「判断」に疲れてるんだと気がついた。でも同じことを俺らはNICUでやってるよねとも思った。超低出生体重児の入院受けで、今はリスク管理と称して人工呼吸の合併症とか偶発事故とか、カテーテル感染の危険とか抜去困難のリスクとか、一連の集中治療手技のことをお話ししろというのが公的なお達しだが、さてさて我が子が超低出生体重児として生まれただけでストレスフルなときに、人工呼吸には計画外抜管とか気胸とか起こりえますがよろしゅうございますかなどと聞かれて、聞かれた方としてはどうすりゃいいんだ? 人工呼吸を止めるというのはすなわちこの子を殺すということになる。選択肢としてはとりようがない。合併症の危険は承知しました、極力危険の無いようによろしくご高診くださいとしかもうしあげようがない。ストレスフルな状況にさらに判断のストレスをかけているのが問題の第一。しかも、選択肢がけっきょくあるようでない、医師が提示する模範解答と違うことを言えば医療ネグレクトと言われかねない、そういう「答えが質問側が想定した唯一の模範解答以外にあり得ない」質問ってのを無理矢理答えさせるのは、一種のハラスメントではないかと思う。それが問題の第2。そういうことを現場に強いてそれがリスク管理か?君らが用意しろと言う新生児集中治療のさまざまな危険を書き並べた文書ってのはほんとうに現場からさまざまのトラブルを払拭するのに役に立つことなのか?と思ったりする。まあうちの上層部はいろいろ他に忙しいことがあるらしくてあんまりそういうことを言わないけど、他所の大きい施設でそういう書類が上層部から降ってきたり、あるいは自分でそういうのを作るのが好きな先生が居たりして、辺境から見てると、なんだかなあと思うんだ。大変なときってのは飯と風呂とどっちが先?と聞かれるだけでも大変なのだよ。まだうちの妻は、自分が飯が先と思ってるときに亭主が風呂だと言い出してもなんだかんだ言わない人だからいいけど。おおらかすぎるのも考えもので、「判断をさせてくれるなよ、判断って奴に疲れたんだ」と言ったら、「ふーん、でお風呂が先なの?」と問い返された。へなへな。