さて、何度かにわたって書かせていただいた、このシリーズ記事も今週で終わりです。今回は、全体のまとめと、妻へのなんちゃってインタビュー(笑)で締めたいと思います。今回、まるまる1週間、完全にひとりで、娘の介助を含む家事を全面的に経験したことで、かつての一人暮らしや、1日程度の家事留守番とは違う次元で「家事」と「主婦(主夫)生活」というものを知ることができました第1に、一人暮らしがなんとか成り立つ程度に「家のこと」をこなすレベルと、子どもがいる家族の家事を破綻させずに回すレベルとでは、やらなければならない家事の「量」も「複雑さ」もまったく異なり、それが結果として「質」の違いにまでなる、ということ。朝とか夕方とか、複数の家事が重なる時間帯は確かに殺人的な忙しさになり、同時に複数の家事を並行して進めていかないと到底間に合いません。そして、同時に複数のことを考えながら家事をする生活を、たった1週間続けただけでも、頭のなかで作業動線が合理化されていき、ある意味「家事脳」が身に付いていくという面白い経験もしました。第2に、家事というのは「掃除」とか「洗濯」みたいな特定の作業を指すのではなく、「家」のもつ機能を発揮しつつ、発揮させることで増大するエントロピーを復元することで、「家」の機能を維持することだ、と悟ったこと。そう気がついたことで、「料理は作るが後片付けはしない」とか「洗濯機は回すが干したり畳んだりは面倒」という感覚でやる「家事」は、家事の本質にまったくたどり着いておらず、むしろ「料理の後片付け」や「洗濯物を畳む」ことで「家庭の機能が復原される」ことにこそ家事の醍醐味があることが実感できました。第3に、やはり家事に・家に拘束されてる家事生活を毎日続けていると、どうしても思考が狭窄化しがちで細かい家事の悩みにけっこうとらわれるようになること。そしてそれを、パートナーへの愚痴として聞いてほしいという気持ちが高まること。私も、これまで、仕事から帰るとよく妻が家事の愚痴を話してくることがありましたが、その相手をすることがそんなに大事だとは(頭では分かっていても)実感できてはいなかった気がします。でも、たった1週間家事をやっただけで、私が妻に家事の愚痴を言うようになっているのに気づいて自分でも笑ってしまいました。以後、妻が退院してからも毎日仕事から帰ったあと妻と雑談する時間をとるようになりました。そして第4に、家事の責任を任されることは、自分の時間の自由度が大幅に制約されることを意味し、(少なくともいまの日本の会社のホワイトカラーの世界では)仕事と両立するというのは本質的に無理ゲーだ、という実感。もちろん不可能だということではないでしょうが、安定した持続性をもって周囲が(あるいは自分自身が)期待されるレベルで仕事をすることは容易ではなく、また昇進はチャンスというよりリスクとして映ってしまう(だからそういうのを避ける動機が生まれる)ことも実感しました。というわけで、今回の経験で学んだことは本当に大きかったです。家庭と仕事ということを改めて見つめ直す貴重な体験になりましたし、私自身にとっても、なんとか家事を一任されてもやれそうだな、という自信にもつながりました。というわけで、当ブログにお越しの「お父さん」の皆さん、もしこれまでやったことがないのであれば、ぜひ一度「家事をぜんぶ任される」という経験をされてはいかがでしょうか。割と人生のパラダイムチェンジにつながったりするかもしれませんよ。(笑)さて、最後に、今回の件について、一応「相手方の意見」も載ってないと不公平?なので、妻に簡単にインタビューをしてみました(笑)。それを最後に掲載することで、このシリーズ記事を締めたいと思います。なんかちょっと手前味噌でキモいですが(笑)。>退院して、家に戻ってみてどう思った?もっと散らかってると思ったけど、案外きれいだったので驚いた。学校の連絡帳にもいろいろ書いてあったので、思ったよりまめだなあと思った。ついでに家中の掃除もやっておいてくれたらもっとよかったのに。>後半で私が家事の愚痴をメールしたでしょ。あれはどうだった?毎日毎日同じ話が送られてきたんで、いいかげん、それくらい自分でなんとかしてよ、と思った。こっちはこっちでまだ体力戻ってなかったし、生まれた子どもの世話もあって寝れてなかったし、イラっとしたよ。>でもそれって、家事の愚痴を話す奥さんと仕事が忙しいからと怒る夫、というのと同じ構図なんだよね。そう言われればそうなのかもね。>それで、最近は夜雑談する時間をとるようにしてるんだけど。それはいいことだよね。やっと主婦の気持ちがわかったでしょ?(笑)>じゃあ最後に、家事とかについてこれから希望することとかってある?子どもが二人になって、ますます家事も忙しくなってくるから、これからもちゃんと家事手伝ってね。