そして、のび太は「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」「広汎性発達障害」と診断されるのだ。それは、のび太の特性を知るのと同時に自分自身の特性もそこに見えてきた。それは絡まって団子状態になった糸をゆっくりほぐしていくことで、やっとそれが一本のしっかりした糸であったことを証明するかのようだ。一本の糸は色あせてもいない、よれてもいない、間違いなくそこに存在する糸である。私ものび太も確かな一本の糸だった。しかし、「孫に障害がある」ということは自分のシナリオにない私の母親は、絶対に信じなかった。「障害じゃないよ。私の知っている子供とのび太は 何も変わらない。子供なんてみんなこういうもの。 絶対に障害なんてありえないから大丈夫」と言い張り、接し方は余計におかしなことになっていった。その様子は書けない。怖い。つまり、のび太のこだわりなどを許さないものだ。またある時は、逆にこだわりを余計に刺激させるように仕向けたり、じっと座っていることを強要したり、私にとってものび太にとっても恐ろしいものへと変貌していくのだ。私はのび太の障害についての文献やわかりやすく書いた文書やのび太の特長と対処法を記したものを母親に渡した。しかし、受け入れるということは、ない。あくまでも自分の理想どおり、行動して話して生きて欲しい、という自分のシナリオを押し付けることを止めなかった。自分だけならまだしも、のび太に私と同じ思いをさせることは絶対に許せない。私は、母親に対して絶縁状を書いた。「もう、私たち家族に対して、関わらないで欲しい。 私たち家族は、あなたの思い通りには絶対にならない。 もう、顔も見ることもない、声を聞くことも無いでしょう。」しかし、私はこれまでの経験で知っている。こういうことを私が主張すれば母親は狂ってしまうことを。だけど、それでもいい。しかし、その絶縁状を出してから、私の精神の歯車が狂ってきた。