私は、もう、母親とは縁を切ろうと思った。電話をナンバーディスプレイに変えて、実家からの電話には極力、出ないようにした。そんなことはお構いなしだった。急に尋ねてきては、私の子育て、生活に関してあれこれ難癖をつけた。インフルエンザで40度の熱を出し寝ているのび太をムリヤリ揺すり起こして、「せっかく、おばあちゃんが来たんだから起きて~」家の前の砂利道で転んで額に傷を作った時も「ママがちゃんと見てないからこんなことになったのよ。 ママに傷つけられたのと同じよ」「おばあちゃんちの子になったらいいのに。 こんな生活してたらダメな子になる」また、多動で落ち着いているはずのないのび太をムリヤリ自分の傍らに座らせようとして「ねえ、おばあちゃんとゆっくりお話しよう。 おばあちゃんがお話聞かせてあげるからね~」と、夢みたいなことを言うが、のび太はお構いなしに走り回ると「ちょっと、どうしてのび太は落ち着きないの? やっぱり3ヶ月で保育園に預けて働いたりしたから 気持ちが落ち着かない子になっちゃんたんだね。 取り返しの付かないことを私の大事な孫に してくれたよね、あなたは・・・」まあ、ここに記したことはまだ笑い話程度だ。母親は私が幼かった時の様に、いや、それ以上に、のび太に自分の気持ちや自分の勝手な理想を押し付けて思い通りの孫に育て上げようと接した。それは、私にフラッシュバックを起こさせた。私が幼かった時、「精神的な死」を覚悟したあの頃、そこまで覚悟させた母親の勝手な思い込みの刷り込みが今度はのび太に矛先が向けられた。ダメ!のび太にだけは絶対にそんなことはさせない!という気持ちと、自分の幼い頃の「精神的な死」に至るまでのフラッシュバックとで私は狂いかけていた。その頃、のび太の発達の疑問を調べるうちに「発達障害」「アスペルガー症候群」というものに自分のルーツが見えてきたのだ。