ベンは何かとすぐに匂いをかいでしまう。始めて食べる物や、新しいおもちゃや本に至るまで、調べたい気持ちのあるものはすべて嗅ぐのだった。
小さい頃には、褐色の美しい肌を持った黒人女性の腕の匂いを嗅いでしまった事もあった程。嗅ぐことによって何か納得させられるものがあるのだろうし、記憶にもつながっているのだろう。
実は僕もそんな匂いの記憶をたくさん持っていて、匂いによって気分や思い出がよみがえることが多い。今日はリハーサルに行くために朝10時頃近所を歩いていると、窓を開け放ったバーから独特の匂いが漂ってくる。
バーがオープンしている時間に良いと思う事はあまり無いのだが、僕は営業前の床に落ちた酒の糖分が分解されて時間が経過した様なバーの匂いが大好きだ。
それは、フロアが木製であればなお格別で、甘い香りとともにライブ・ハウスで演奏する前のわくわくした気持ちと、学生の頃楽しかった学園祭の思い出が入り交じる香りなのだった。
渡米した頃を思い起こせば、アメリカには日本と違ったたくさんの匂いがあることに気が付く。特にスーパーマーケットは取り扱う商品の違いからか、消毒液と生肉の混ざりあった強烈な匂いで、おでんと雑誌の匂いのコンビ二を恋しく思ったりしたこともあった。
NYCの地下鉄と、ニュージャージーへ行くパス・トレインの匂いにも明らかな違いがある。トンネルに使われた建材や、清掃液の種類が違うのが原因だろうか?
小学生の頃は、香水の匂いの入り交じる父兄参観日が嫌で仕方なかった。何故だかわからないのだが、学校のと香水の匂いの相性が悪かったのかも知れないし、単に父兄参観というものが嫌だったのかも知れない。
記憶と重なり、嫌なことも良いことも全て含めて、懐かしい気持ちや光景が浮かんで来る。
そんな匂いの追憶を楽しむ僕に対し、ベンの匂いに対する興味はアグレッシブで、鼻を近づけて嗅いでしまうことが多い。先日も、ドラッグ・ストアの菓子棚の前で、片っ端からキャンデーやチョコ・バーの袋を手に取って匂いを嗅ぐベンを発見して、注意したばかりだ。
確かに袋ごしに嗅ぐキャンディーの香りは、実際に食べてしまうよりも期待感があり、それは輸入版のレコードからするビニールの香りでわくわくしていたのと同じ感覚なのを覚えている。
こらからもベンにとって楽しい匂いの記憶が増えてくれるのを祈る。