「『かやくを麺の上にあけて・・・』って どーゆーことだ?!」と言いながら、カップラーメンの麺の上でそ~っと、「かやく」の袋をあけて、そのまま固まっていたのび太。笑い話ではないのだ!
「ああ!『あける』って『かやくを麺の上に置く』 ってことなんだね~!」と、真顔で「へえ~」と感心していたのび太。日本語って難しい。確かに『麺の上にあける』っていう表現も微妙だがこれでおそらく一般的に理解できる言葉だ。今朝、早朝からのび太にカミナリを落とした私。今日から新学期ののび太。持っていく荷物をごっそり抱えて二階から降りてきた。チラッと覗くと手提げの中からグチャグチャに丸めたプリントやらゴミやらが見えた。はぁぁぁ・・・・・そういえば、机の中や机の脇の手提げに要らない道具やらを置きっぱなしにしていて掃除の際に机を運ぶ係の人が大変なのできちんと片付けるように・・・と、指導しましたと、以前、学級便りに書かれてあったし、面談の際に、「のび太くんは自分でもどう片付けたらいいか 解らないようですので こちらからも声かけしますし、 おうちでもさりげなく教えてあげてください」と言われていたのだ。要するに、目立って、いや、目に余るほど、のび太の机の周りは汚いのだ・・・(汗)
「のび太、その手提げからゴミみたいなのが見えるけど それ、捨てていったほうがいいんじゃないの?」と言うと、
「あ、そうだ!」と、大慌て。
「ちょっと、お母さん、先生にちゃんと片付けさせるように って言われているんだから見せなさい!」と、手提げやランドセルを覗くと習字道具入れに入っていない墨汁や筆、絵の具道具入れに入っていない絵の具多数、1学期のテストやらプリントやらがグチャグチャ、ケースだけの彫刻刀入れ・・・そんなものがただ無造作に入っているだけなのだ。
「ちょっと!何これ?! どうして絵の具がここにあるの? どうしてケースに彫刻刀が入っていないの?!」まだ朝6時前の我が家に私の怒声が響いた。もうひとつの手提げを見るとパンパンの道具入れがボロボロに壊れている。
「どうしてこのお道具入れが壊れているの? 誰かに壊されたの?自分でやったの?!」
「じ、じ、自分で、暇な時につい、 いじってたら壊れちゃって・・・ううう・・・(涙)」そのボロボロの道具入れには入りきれないほどの教科書とノートが入っていたのだ。
「この教科書とノートはこの道具入れに入れていていいの?」
「入れてていい、って先生が言ってた」
「だけどこんなに教科書入れてたら のりとかハサミとかクーピーとか入れられないでしょ?」
「ううう・・・・・」
「1学期にこういう風に学校に置きっぱなしにしてるから 机が重くて掃除の人が困るって 先生にも友達にも言われたんじゃないの?」
「うん、言われた~~~(涙)」
「じゃあ、今日、学校に持っていかなくてもいいよね? 毎日、必要な教科書だけを持っていくんでしょ?」
「でも~~~先生が道具入れに教科書入れても いいよ、って言ってたし~~~(涙)」
「それは、家で時間割をそろえて持っていって 学校で道具入れに入れてもいい、って事じゃないの?」
「う~~~~~わかんないよ~~~ だって、ここに入れてもいいって言ってたし、 必要なものだけ持って来なさいって言うし、 どうしたらいいかわかんなかったんだよ~」つまり、こういうことのようだ。先生は「今日、必要な時間割の道具を(家から)持ってきなさい」といった言葉をのび太は「家で必要な道具(例えば音読の宿題などの時は国語)を 家に持って行きなさい、」と、解釈し、「家から時間割をそろえて持ってきた教科書は道具入れに入れて置いてもいいですよ(ただし、帰りには持って帰るんだよ)」といった言葉を「道具入れに入れて置いていてもいいんだ」と解釈したようだ。つまり、教科書やノートは学校に置いておくものと、思い込んでいるところから解釈の間違いがあったのかもしれない。それにしても、「伝える」と言うこと、「言葉を理解する」ということは、なんとも難しいものだ。新学期早々、朝から怒鳴りまくったワタシ、新学期早々、朝から怒鳴られまくったのび太・・・あ、でもね、その話題が解決すればあとは笑って話せるのがのび太のいいところ。笑顔で張り切って登校しましたのでご安心を・・・あああ・・・今日はワタシの誕生日なんだけどね(悲)