私のLD=学習障害

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Nice!

銀杏並木.jpg( 小学校の銀杏並木 )先日=緒方明子先生の講演会の前=の事ですが、母と私の小学生時代の先生達の話になりました。私自身が先生に抱いていたイメージと 先生が母に話していた話では 印象が違うことが〜当たり前なんですけど〜あるんですよね。私は 小2の時に 岩手県の小学校から 神奈川県川崎市の小学校に転校をしました。青森県で生まれて、小学校の1年生だけ岩手県ですごしました。青森と岩手ですから、言葉のなまりはかなりあったと思うんですね・・・その後、標準語で通していましたが、言葉のなまりで苦労をしたから、ぜんそくで東北に引っ越しても 言葉を地元に合わせようとは思わなかったんです。「私は私の道を行くから何を言われても平気だから・・・」小5の時の私から 今まで その考え方は変わらないんですけどね・・・。小2の頃の先生が 私の事をこんな風に話していたそうです・・「お子さんは やればできるんです。 それなのに、学習にはとても波があるんです。やればできるのに『さぼっている』だけなんです。 田舎から出てきているので、言葉や学習の遅れがある部分は仕方ないとわかっていますが、お子さんはそんな事に関係無く やれる力があるんです。それなのに『やらない時がある』私はやれないと最初からわかっていれば そんなに攻めませんが『できるのに やらないのは 絶対に許しません。びしびしと鍛え上げますから、お母さん、覚悟していてください。』」と言われたそうです。どこかでよく聞く話ですよね・・・(苦笑)その先生は「いのこり学習」を頻繁にさせていました。生徒をグループにして、優秀な生徒の中に一人手がかかるのを入れて(私のことですね)生徒同士のグループで全員が合格しないと前に進めないシステムでした。 できる子が できない私に やり方とか こつとか 必死に教えてくれるんです=感謝でした。私が何が嫌だったかといえば 障害特性で難しい「暗記」でした。かけ算九九では なんで私がこんな目に・・と思うほど 苦労しました。暗記ができないんです。かけ算九九は学級では徹底的に仕込まれましたね・・・本当に苦労して・・どうしたかというと・・・笑われちゃうかもしれませんが、リズムで音で感覚で そんな感じでいれていました。感覚で入れる方が楽だったので 当時は珠算塾に通わせてもらいました。国語は 1年生の頃から 行をとばし読みしてしまうんです。私自身 理由はわかりません。大人になった今でも そんな風に読んでしまうので、注意深く気をつけて読んでいますが、時々 めまいが・・・くらくらします。2年生の頃になると 文字の大きさも 文字数も 行の数も増えてきたので、はじめは線を引いてみました。でも、みんなは線を引いていないし、先生が指示をいれると 線のせいで書けなくなってしまいます。次に考えたのは 横に紙を置くことでしたが、文字が全て見えなくなるのも感覚的に窮屈でした。それで次に短い定規を横におくことにしました。 いまは電車の中で 単語や年号を暗記している学生が 暗記用に赤いシートを持っていますが、あれがあったら便利だったのにな〜(透けて見えるし)と思って見ていました。それから・・・ひらがなが長く続いたりすると わけがわからなくなってしまうので、文節ごとに横線を入れて 読みやすくしていました。は=の読み方で は と わ で いまのまこちゃんほどじゃないけれど 結構たいへんな思いをしていました。ぜんそくで田舎に転居して・・・伝言ゲームや トランプ遊びでも神経衰弱のゲームは大嫌いでした。『短期記憶』がとても弱かったからです。黒板に書かれた文字を読みながらノートに写すのですが、先生が黒板消しで さっと消すと・・脳みその中の文字も 同時に消えるんです。だから・・・私のノートには 中途半端な文や数字がたくさんありました。 先生にノートを提出すると・・・「ノートをとらずに ぼーっとして さぼっている」と言われてしまいます。「私はさぼっているんじゃないんです。消えてしまうんです」いくらそう言っても、嘘をついているとか いいわけをしてばかりいると言われて つらい時期もありました。成績は トップ集団の次くらい=小学校の時は・・・。中学校は得意・不得意があって 中の上くらい・・・平均的でした。学習障害があっても IQは普通で成績も並み・・・だから やらないとさぼっていると思われて困りました。中学の時は 体操部に入ったのですが、体育の時間に 手で拍子を取る という課題があって、右腕を3拍子に 左腕を4拍子に そして同時に動かす という事が何度やってもできませんでした。体育の先生は 体操部の顧問ですから、体育が完璧にこなせないと ヒステリックになって罵倒されるんです・・・結局、体操部はやめてしまいました。今だからわかるんですけれど、そんなこともLDには よくあることでした。小学校に上がるときの知能検査の事は よく覚えているんです=不思議なくらいに。なぜかといえば=大嫌いな=「迷路」があったから。他の課題は 簡単すぎてあほらしい・・・と思っていたのに、迷路の図を見たら 一瞬 気持ちが悪くなって冷や汗がでたんです。それでも 簡単な迷路だったので、早く終わらせることはできましたが、この知能テストで変なことをしたら 帰宅したら 母にたたかれるかもと 思ってどきどきしていました。ひらがな・かたかなは 母が入学前に教えてくれましたが、母の書き順で教わって すり込まれたものは 正しく教えられても直すことが難しくて いまだに間違って覚えています。文字を覚えるのに よく間違いました。 あ をおぼえるのに 十時を先に書いてから「の」を書く。と覚えたり、ねとめとぬをよく間違えましたので、文字を書くときは あの時みたいに ぶつぶつと唱えては書いていました。を を覚えるときは 十に「つ」だった?「つ」の反対みたいのだった??と ごちゃごちゃになっていることもありました。 いまは笑って話せるし、まこちゃんが どんなところでつまづきやすいかを考えるときは 私自身 その頃はどんな風な困り感があったかしら・・・と振り返ることもありました。母はいつも私のことをこう言っていました「三歩あるけば忘れてしまう にわとりと同じだ」と。ひどい言葉ですが、私は否定できませんでした。だって・・・その通りですから。でも母は わざと 私に近所に買い物に行かせました。メモをとらせてはくれません。買い物の全てを暗記して行って もれなく買ってこなければ=たたかれる=そんな毎日が 地獄のようで どうしてこの家に生まれてしまったのだろうと運命を呪いました。買い物とか伝言ゲームはどうにもならないけれど、知識を全てキープするのは無理だから=情報のある場所を知る=調べ方を知ることで この部分をカバーできないだろうか?と。私は 発想することが得意だったので、頭の中に 情報の入っているファイルを引き出しにしまう感覚で行っていきました。今のパソコンでは検索の時に キーワードを入れて行きますが、その頃の私の頭の中も同じでした。キーワード検索で 情報のありかを知って そこに行けば 詳細な情報が手に入る というわけです。人の声を記憶する能力は高い方だと思いますが、人の顔と名前は一致しづらい方です。声でわかるから〜と思うのですが、実は 話している単語などが 違う言葉に変換されて耳に聞こえてしまうことがあります。パソコンのデータにバグがでているような感じで、たまにしかありませんが どうして欠落するのだろうと悩んでいた時が長くありました。 また 内容が抜け落ちたりすることもあるのです。今、学校と大切な話をしているので、録音機を持って行きたいとお願いしているところです。言葉で全て伝えることが難しく感じたときは 図形と矢印を使って 図形の中に文字を入れたりして独自のマニュアルを作ることで 乗り切ったこともありました。考え方を整理して マニュアル化できるまで 仕事の情報を集めていく=それは私が社会に出て仕事をする時にとても役立ちました。苦手なことを できないから・・・とあきらめることはしませんでした。できないことをどのようにサポートしたら 私はできるようになるのか。そのサポートを 誰かが作ってくれるのではなくて、自分で作ってしまう=そしてそれが結果的にみんなに必要な物として認められ、仕事上の事故がなくなる という事で評価して頂いたり。自分が苦手な事が多くて、母の体罰も効果がでていまして=自分の身を守るために「人の行動を見てとっさに行動の先を読み取る」という自分を守るための能力が強くなりました。それでも私には 苦手な事がたくさんありますが、たくさんの素晴らしい人に巡り会って、出会いが人生を豊かにしてくれています。そうなると 私がとても人間関係が得意そうに聞こえるのですが、実は以外に 苦手な部分もあって、必要以上に 人とくっついているのが苦手です。直近の事で物を解決させないで、2年先くらいまでとか、数ヶ月先のことですとか、そんな事を話しているものですから=よく変人だと思われていました(笑)=今の豊かな発想の原点です。いろんな経験があって、人は育っていくのだと思います。まぁ、こんな私でも、当時の国鉄には100倍の競争率で入社しています。個性的で変なところが買われて入社したのですがラッキーでした。試験は1日目はペーパーテスト+適正検査、合格すると集団面接と昼食をはさみ自己紹介文を書いて 個人面接 という一般的な入社試験でした。私は 人に誤解され易いし、決して器用な人間ではありません。どちらかというと すごく損なタイプだと思います。適当に流せたら 楽なんだろうな〜と思うことはたくさんあるけれど、私はなかなかそうはできません。不器用なんですよね・・・。敵にも塩を送っちゃうタイプです。アンフェアが好きじゃなくて 損するタイプですよね・・。そして究極の方向音痴です。待ち合わせは苦手でした。〜時間までに たどりつけなくて(涙)そんな学習障害 当事者の私は 苦しかった過去のことを 振り返ることがたくさんあります。未だに 両親は私のことを 絶対にLDだとは認めないと思います。それは「自分たちの責任?」と思ってしまうのは 自分たちが許せないからなんですね。他の家族にそういう人はいても、家族に障害のある人なんて あり得ない!と思っている両親なんです。小さい頃からずっと 私の存在は否定され続けてきたと・・・今も思うことがたくさんあります。私の両親は管理型の思考なので、余計にあわないのだと思っています。不器用な人生だけれど、どうしたら どうしたら・・・と 挑戦の毎日は 毎日のようにやってきます。そのたびにクリアしてきたけれど、いま まこちゃんの事で悩んでいる事では いろいろと手を尽くしてきたけれど、まだまだ先がみえません。大きなため息をつきながら、振り返っています。軽度の発達障害って 石を投げたら相当数の人に 当たっちゃうんだろうな〜 自分も家族も気づいていないことも多くあるよね・・・と思います。いろいろと大変なことは たくさんあるけれど、自分の道を一生懸命に歩いていくだけだな〜って思っています。私の小学生の頃の話なんて、LD学習障害の事を知っている人が 「あるある あるよね〜ちっとも珍しくない事例だよね」と言ってしまうほど、普通のLDです。私は今 LDであることを隠したりしていません。私にとっては恥ずかしいことでも何でもないからです。一生懸命に克服して「仕事をしなければ」とがんばっていた私に「偉かったね」とほめてあげたい気持ちがたくさんあるときと、「駄目じゃん」と思うことの繰り返しですが まだまだがんばっていかなくちゃと思っています。私の場合〜日常生活には全く支障ありませんが、一度 会ったことがある人でも、2度目にお会いすると 顔と名前が一致していなくて、失礼をすることが多々あります。なかなか顔と名前が一致しません。そんな時は もうしわけありませんが、またお名前を伺ってしまうと思います。どうぞよろしくお願いします。