子供は見ている

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Nice!

先日のこと、「今日、Aくんが嫌な事を言って ボク、頭にきてAくんのことを追いかけてたら 途中でここ、ぶつけっちゃって~」と、肘のばんそうこうを見せてくれた。「あらら~大丈夫?」「うん、ここはもう大丈夫」5年生になってほとんどと言っていいほどいざこざの無いのび太。いかに先生の指導力が子供たちに大きく影響するか、と言うことを実感してしまう。毎日、地獄へ行くような気持ちで登校していた去年ののび太。今年は・・・「なぁ~んにも心配な~い」らしい。「・・・で、Aくん、のび太になんて言ったの?」「♪~~~~~♪って、ふざけた替え歌で ボクのこと、馬鹿にしたんだ!!」・・・・・まあ、聞いてみれば大したことではない。もしかしたら、他の子だったら、無視して受け流すかもしれない。だけどのび太はそういうことは黙っていられないのだ。相手の仕掛けにまんまと引っかかる、バカ正直とも言えるのび太。まあ、そのうち、「ちぇっ!くだらないな、相手にしないよ」って、受け流せるようになってくれればいいな~と、思うけど・・・う~ん・・・でも、こういう大人から見たら大したことのないいざこざの積み重ねで去年は地獄のようなドツボにはまっていったのだ。大人の視点と子供が受けるダメージはイコールではない。ここで去年の担任が子供の気持ちに寄り添ってくだらないいざこざでもきちんと対処してくれれば繰り返されることは無かったはずなのだ。「・・・で、C先生には言ったの?」「うん、言ったよ。 C先生が絆創膏、貼ってくれたんだ。」「ふ~ん、C先生はAくんとのケンカ、 解決してくれたの?」「うん、はじめに相手に言い出した方が 絶対に悪いから、謝りなさいって。 Aくんがボクに謝って、ボクが『いいよ』って許した」「ちゃんと納得のいくように解決したんだね」「うん。C先生はちゃんとボクの話しを聞いてくれるから 大丈夫なんだよ」そうなのだ。はっきり言って、幼稚園児並みの出来事だ。悪口を言った。   ↓ケンカになった。   ↓先に仕掛けたほうが悪いんだから「ゴメンナサイ」と言わせる。   ↓ちゃんと謝ってくれたら「いいよ」と許すこと。この、当たり前で基本的なやり取りでいいのだ。こんな幼稚で当たり前で簡単なことを怠った去年の担任。「ケンカ両成敗」なんて兄弟げんかでもない限り、納得できることではない。基本を怠ってのび太を追い詰めていった去年の担任の罪は重すぎると思っている。「C先生はちゃんとボクの話しを聞いてくれる」し、「他の子のいじめの時もちゃんと学級会で話し合ってくれる。 だから安心する」と、のび太は言う。先生だからと、必ずしも子供たちに信頼される訳ではない。子供たちは見ている。大人の言動を。教師だからと言って全て正しい訳ではないことも知ってしまっている。その分、信頼できる人の前では誠実であろうと頑張るのが子供と言うものだ。そして、大人たちを見る目はある意味、もっとも正しい。