総合支援学校の説明会を聞いてきた

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Nice!

総合支援学校高等部職業科の説明会があったので息子を連れて出席した。職業科は就職率がよいので人気が高い。多くの聴衆で会場が埋まった。京都市内には白河・鳴滝の二つの学校があり、各々の学校の先生や生徒さんにより学校紹介がなされた。とくに生徒さんのプレゼンぶりから、白河は「よく仕込む」鳴滝は「よく伸ばす」校風であるという印象を受けた。白河の先生と生徒さんによるプレゼンは、先生単独・生徒さん単独のセンテンスと二人が声を揃えて読むセンテンスがきっちりと計画されていた。発音の明瞭さには入念な練習のあとが伺われた。その点で彼らが準備したものは「台本」であり「芸」であったと言ったら言いすぎだろうか。対して鳴滝の生徒さんは各々の手持ちメモを通しで一人で読んだ。彼らの準備は「原稿」であった。てにをはを直して通し読みを数回してという以上の手間は敢えて掛けないという意思あるいは心意気を感じた。・ちなみにこの印象は2年前に参加したときも同様に感じたので、たまたまプレゼンの担当になった先生個人の個性というより伝統的な校風なんだと思う。・医師としての目で見て、けっして白河の生徒さんが課題の遂行能力において劣るというふうには見えなかった。その校風の違いに優劣がつけられるわけでもないと思う。生徒の障害の特性によっても異なるだろうし。人当たりが良くても課題がいい加減な生徒には白河のきっちりとした校風で育ったほうが卒業後の職業生活もなにかと上手くいくかもしれない。課題はきっちりこなすが朴訥として引っ込み思案な生徒には鳴滝の校風のほうがのびのびとするのかもしれない。客観的な優劣と言うよりは個々の生徒との縁の良し悪しだと思う。息子は意外におとなしく聞いていた。退屈すると何のかのと独り言が多くなる子なのだが。各校の校長先生の挨拶まですべてスライドを併用しての説明会だったから、自閉症である彼にも理解がよかったのかも知れない。どちらにするんだと聞いてみたら鳴滝と答えた。校風の違いによる魅力と言うよりも、バスを乗り継いでの通学をしてみたいという動機であるようにも思えた。両校とも、入学に必須なのはかならず企業就職をするのだという強い意志だと強調しておられた。それがちょっとネックだなと思った。3年後には必ず就職するのだという強い意志をもったりとか、将来はこういう大人になるんだという夢を持ったりとか、そのためにはこの学校に通わねばならんのだという見通しをもったりとか、そういう両校の先生方のご期待に応えられるようなら自閉症とは言わないんじゃないかと。でも夢や見通しや強い意志がなければ退屈だとか無意味だとか駄々をこねて日々の仕事が続けられないなんて、それって定型発達のみなさんの障害特性なんじゃないかとも思う。小難しい動機づけがなくても淡々と日々の仕事をこなしますというのを長所にカウントするのはダメなんだろうか。いったいうちの息子のように毎朝6時に自分で起床してきて、ゴミの日には家中のゴミを適切に分別して出して、新聞を取ってきて父親も起こしたうえで、片道30分の徒歩通学を無遅刻無欠席の皆勤賞でこなすような男子中学生が世間にどれほどあるというのか。