It's alright , You win

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Nice!

というわけで仕事が暇なこともあり、最近の夜はナイター観戦をしながらビールを飲んでいることが多い。放課後の子供相手にベースのレッスンをして、夕方は公園に行き子供達の野球に付き合い、夜はナイター観戦。何だか、僕が小学生の頃昼間の公園によくいた「めんこおやじ」になった気分であの頃のことを思い出す。ああいった人は一体何だったのか、午後の3時くらいに公園にいる成人というのは不可解でもあり、危険な感じさえするのだが、あの「めんこおやじ」は「めんこしよう、めんこ。」と言って子供達の輪に入り「めんこ」で無いものをパシリと出して子供達のウケを取るといったものだった。会社で働くのが当然という家庭で育った僕にとって、学校を卒業して自由な職業に着くのは魅惑的であり、ちょっと括弧良い感じの事ではあったが、もうすぐ44歳の誕生日を迎える年になると、ハッと後ろを振り返って見える気楽な人生と、先を見たときの枯れ草に埋まる雑木林を交互に見ている自分がいた。昨日のヤンキースは、二人目の中継ぎジョバ・チェンバリンがホームランを打たれ逆転されてしまい、負けの試合だった。ジョバは昨シーズンから大活躍をしている まだ少年の面影の残る22歳のピッチャー。3-2のリードを守る為に8回表で登場してヤンキー・スタジアムの大歓声の中を力投する。責任のあるスポットでの大役を任された22歳は、2人ランナーを出塁させてしまった後、2アウトまで取っておきながらあと一人というところでホームランを打たれてしまった。           3点を取られて逆転され、それまで勝ちムードだった球場は静まり帰っている。若き豪速球投手は代打で登場した速球打ちの名手の前に、見事に敗れ去ってしまいマウンドでうなだれた。次の打者をアウトにしベンチに引き上げるが、その表情には一瞬にして起こった出来事に納得できない様子が伺える。ベンチの中では髪を引っぱり、感情の行き場が無い。タオルをかぶって顔をあげると、目が潤んでいるではないか。僕はすっかりお父さん的気持になってしまい、彼が打たれた事はどうでも良くなってしまっていた。幾度となくカメラはジョバを追い、そのたびにアナウンサーが「若い彼には相当な試練となるでしょう」と繰り返す。下の息子とテレビを見ていたのだが、「もう十分だ。ジョバが可哀想じゃないか!もう映さないで」とテレビに向かって二人で叫んでいたところに、元野球選手の解説者が言った。「彼の投球は決して悪くなかったですね。スピードもあったし、コントロールも良かった。だから時には打者を讃えることも良いのではないでしょうか?」負けたものが悪いのでは無く、勝ったものが偉い。なるほど、そういう考え方もあったか。ゲームの勝敗ばかり考えていると失敗したり負けたりするのは責任としか感じられなくなってしまうが、見方を変えればどちらも一生懸命に責任を果たした結果なのだ。野球を見ていて本当に楽しいのは勝ち負けではなく、プレーヤーの葛藤が見ている側それぞれの気持に置き換えられたこんな瞬間なのだろう。