ずるいことをされてもいいから

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Nice!

今日ふたつ目の記事、前回の記事の続きです・・・今日、帰ってきたのび太とおやつを食べながらの会話。「今日も鬼ごっこしたんだけど、 一番初めにボクが鬼になって、 そのあと、誰も僕を狙わなかったから、 ずっとヒマだったんだ〜」「へぇ〜良かったね〜」「よくないよ〜! ボクが目の前にいるのに、無視して、 他の人を狙いに行ったりしてるんだよ〜 ヒマでヒマでつまんないよ〜」ん?それって、どういうことだろう?いわゆる「シカト」ってヤツですか?「始めにじゃんけんしたとき、 また後出しじゃんけんされたの?」「うん。」「後出しはずるいよ、とか言わないと相手の子は 『のび太くんには後出ししても何も言わないからいいんだ〜』 って思われるよ〜」「言っても無駄だよ。 すぐに逃げちゃうんだもん」「じゃあ、今度、のび太が後出ししたら? きっと、相手のお友達ものび太の嫌な気持ちが わかるようになるよ」「え〜〜〜!そんなずるいこと、できないよ〜!」変なところで、かたくなに正義感にあふれている、それが、のび太なのだ。ここで、腑に落ちないことがある。いつも10人ぐらいで鬼ごっこをしているらしいが、いつも最初のじゃんけんでのび太ともうひとりが残る。そして、二人になったとき、必ず後出しじゃんけんで負けにさせられるのび太。う〜ん・・・いつも最後の二人に残るのか・・・?のび太のじゃんけんの出し方がいつも決まっているのかもしれないが他のメンバーで示し合わせてじゃんけんしてるのかも・・・?「でもさ、後出しじゃんけんされて いつも嫌な気持ちになるんだったら ちゃんと『後出しじゃんけんは嫌だ」』て言うとか、 また、後出しされたら、 『そんなズルイことをするならやめる』って言うとか、 ちゃんと言わないと、いつまでもズルイことされるかもよ」「・・・ズルイことされても、 みんなと鬼ごっこしたい・・・」「!!!・・・・・」そうなのだ。のび太は「みんなと一緒」「みんなと同じ」に異常にこだわっているのだ。それは、いいことでもあるが、自分自身をがんじがらめにすることが多々ある。嫌だけど、みんなと一緒じゃなきゃ・・・嫌だけど、みんなと同じでいたい・・・私とのび太は同じような特徴を持っているのだが、唯一、この点だけが違うのだ。私自身も小学生のときに、いかに周囲に合わせるか、人の目ばかりを気にして生きていた。だけど、嫌な思いをしてまで人と一緒にいることは絶対に出来なかった。休み時間もひとりで絵を描いていた。女の子にありがちな、一緒にトイレに行く、とか、同じ方向だから一緒に帰る、とか、そういうことが出来なかった。そういうことが出来るのび太は、私にとって「すごい!」と思わせられた。嫌だけど頑張って周囲に合わせる、ということは、ぎこちないかもしれないが、ある意味、社会性がある、協調性があるように感じていた。しかし、今ののび太はどうなんだろう。明らかに周囲の友達にいい様に振り回されているように感じる。のび太が意思表示をしないことをいいことに・・・「お母さんはお友達のことを悪く言わないのび太は えらいと思うよ。 だけど、そうやっていつも嫌な気持ちを我慢してたらお友達は 『のび太くんは嫌なことをしても 何も言わないから嫌なことしてもいいんだ〜』って 思っているんじゃないかと思うよ。 クラスの子、全員が鬼ごっこしてるわけじゃないでしょ? 今度、嫌なことをされたら『もうやめた!』って、 教室に戻っておいで。 きっと、誰か教室にいるから。 そして、誰かに『後出しされて嫌なんだ』って相談してみたら?」「う〜ん・・・できるかなぁ〜・・・ う〜〜〜ん・・・出来たらやってみようかなぁ〜・・・」親の考えすぎだろうか・・・?いや・・・前回の記事のように、今までの私は能天気すぎたのかも。のび太は小さいころから明らかにいじめられていても 平気で笑って遊びの輪の中から外れることはなかった。それが、いじめている側にすれば余計に腹が立つ。そして、いじめがエスカレートする・・・そんな、繰り返しだった。放課後、友達と遊ぶことのないのび太が、今、どのようにお友達と関わっているのか、わからなかった。だけど、そんなに簡単に社会性が身につくはずがない。そういうことが出来ないから、自閉症なのだ。本当に、難しい。人と関わって生きるということは、なんて辛いことなんだろう。