個人的な自己分析

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Nice!

前回の記事で停電でのび太の激しいパニックを目の当たりにし、
パニックになる私のことを書きました。

実はのび太が診断されてから、いろいろ調べるうちに、
私自身、のび太に近い特徴をたくさん持っていることを知りました。

それに「パニック」というのは、
のび太のように大騒ぎして泣き叫ぶことだけではなく、
身も心も硬直してしまう状態や、
体調に異変をもたらすものもあることも知りました。

どうやら、私はのび太とは違うタイプのパニックを
小さいころから起こし続けていたようです。

いまだにエレベーターに一人で乗れない私。

幼い頃、近所の家族とデパートに行ってエレベーターに乗り、
やんちゃなY君がイタズラして、
エレベーターのスライドする2枚のドアに
手を挟まれてエレベーターが急に止まってしまったのです。
ものすごい恐怖でした。
狭い箱に閉じ込められ、動かなくなる。

私もおそらく4,5歳。
その後の記憶がないのですが、
それ以来、誰かと一緒でもエレベーターは
20歳頃まで乗れませんでした。

その後、二度目の卵巣嚢腫の手術のとき、
術前検査でMRIを受けることに。
ところが、次第に体が土管のような筒状のところに
入っていくにしたがって、
呼吸が出来なくなり、体中にびっしょり汗が・・・
「すいません・・・」と、声を絞り出して中から出してもらい、
結局、MRIは受けられませんでした。

それ以来、今まで平気だった美容院の自動シャンプー
(寝て頭部だけヘルメットみたいなのをかぶせられ、
その中でシャンプーする)
も、MRIと同じ状態になり、出来なくなってしまい、
乗れるようになっていたエレベーターも
再び乗れなくなったり、
観覧車も、狭い密室状態の個室のせいか、
今までは大丈夫だったのに、
苦しくなって顔を覆ってずっと下を向いていました。

このことについて、のび太の児童精神科の主治医に
立ち話程度ですがたずねたところ、

「明らかにパニック状態で、パニック症候群のひとつかもしれませんね」

とのことでした。

これは、あくまでも私の推測、憶測ですが・・・

小さいとき、私は明らかにのび太と同じ自閉症の症状を持っていました。

のび太と違う点は、
私は人の顔色を見ないとこの世では生き難いのだ、と、
幼い頃に感じて、そうしていたので、
自分の好きなこと、興味のあることだけに熱中できずにいたことです。

親の顔色を見て、叱られたり注意されたりしないようにと
そればかり考えていました。

好きなことをこっそりノートに書いていても、
親は私のノートをこっそり見て、
それを「こんなこと書いてるんだ〜」と言われるのがイヤだった。
だから、好きなことも出来なくなった。

のび太のようにパニックになるような苦手なことが
小さいころはもっとあった私。

2,3歳ころは「雨」さえ怖くて、パニックだった。
雷なんて気が狂いそうだった。
夜も恐怖の時間帯だった。
小学校低学年くらいまでは
必ずといっていいほど夜泣きをしていた。
あの頃から人ごみも恐ろしかった。
幼稚園の入園式なんて、恐ろしいところに来た、
と、恐怖でパニック状態だった。
入園してからも、友達に触られたといっては泣き、
そのくせ、欠席の友達がいても泣いていた。

「どうして怖いの?変なの」「それは気のせい」
「そんなことで泣くなんて変なの」「泣いちゃだめ」
と、泣くことも許されなかった。

怖いからといって泣いてはいけない、
泣くと叱られる。
だから怖いときはじっとしていよう。
泣いてはいけない。

「泣く=いけないこと、ダメな子」と思っていた。

親との会話でも、
「お前との会話はつまらない。物体に話しかけている気がする。」
と、よく母親に言われました。
会話に感情がこもっていない、
「うん」「ううん」だけの返事で話が膨らまない、
こちらの話を聞いているのかもわからない・・・
などと、叱られていました。

何故、叱られるのか、
感情を込めて話すとはどういうことか、
質問にイエス、ノーだけで答えるのがいけないのか、
聞いているのに聞いていないと取られるのは何故か、
幼い私は、叱られながらもわからなくて、
叱られないようにするにはどうしたらいいか、ということばかり
考えていた。

家での普段の何気ない会話にさえ、神経を使う毎日。

自分の恐怖感は押さえ込みながら、
人との会話や感情表現の術をムリヤリ覚えようとした。

今の自分の会話や感情表現が社会生活を送る上で
正しいのか、間違っているのかいまだに分かりません。

でも、社会適応能力を身に付けていくと、
自閉的症状が薄らいでくるらしい、と言われているように、
幼い頃から「世の中で(家で)生きていく術」ばかりを考えていたので、
きっと、自閉的な特長は薄れていって、
今ではちょっと神経質なフツーの人と思われているのでしょう。
(フツーと思われているかどうか、アヤシイ)

ブログを書いていて、
「定型発達の母」と思われている私ですが、
本当に自分が定型発達で成長してきたのか、
と、疑問に思います。

もし、私がもっと伸び伸びと好きなことに集中できて、
大人の目など気にせず、自由に感情表現できていたら、
もっと、のび太の感性に近かったのかも・・・と思います。

・・・ま、これはあくまでも私の考えです。

診断もされていないし通院もしていないので、
「いや!自閉症とはそういうものはそうじゃない」とか、
細部に突っ込まれても、困りますけど・・・。

医学的なことも何も分からない私の勝手な個人的自己分析です。