「I don't want to」は最近ベンが良く使うストレートな表現だ。
それは言い訳でもなく、話し合いによる和解を求めるのでもなく、本当にそうしたくない事の表明で、これ以上の強い意思表示は無い。
学校で始まったギター・クラスのヘルプに行くと、皆がストロークの練習をしているところで、ベンだけひっくり返したギターを机代わりにして本を読んでいる。「ベン、ギターのクラスなんだからギターを弾かなきゃ駄目だよ」と言うと「I don't want to」。
夜の11時を回ってもまだコンピューターを消そうとしないベンに「ベン、明日は学校なんだから、もう寝なさい」と言えば「I don't want to」といった具合だ。
クリアである上にどうにも行き場の無い返答に、僕は反抗された事に対して怒る気持ちをしまい込み、以前クラスで習ったように声のトーンを変えることなく説明する。
「今はギターのクラスで皆が協力して音を出さなくちゃいけないんだ。」「明日は学校があるから早く寝ないと起きれなくて学校に行けなくなるよ」
理由はともかく、嫌な物は嫌だという気持ちは誰にでもあるが、それを乗り切る自制心を何とか理解させなければならない。親や先生が怒るからという理由で言う事を聞かせることは、怒るという別の行為となってしまう。
文句と言うコミュニケーションの次には理解する作業が必要になり、ただ文句を言わせているわけにはいかなくなったという訳だ。
宿題をやり遂げたり、学校へ行くという事に対するこだわりがあるので助かってはいるが、学校生活はともかく、仕事をするには「I don't wan to 」の連続だろう。「朝は7時に起きます」的なきっちりとした生活パターンが出来てくれれば良いのだが。
将来への不安を確実に感じさせる20度近い1月の小春日和