<幼児期の療育の必要性を考える その2>
我が家の息子は17才アスペルガー症候群であることが発覚したのが14才、というわけで幼児期になんらの療育を受けないで育っている。
生活上さして不便もなく、さらに特に重篤な二次障害も起こさず、ここまでやってきてこれたということは療育なんて必要ないんじゃないと言いたくならないでもない。
しかし…療育関連の本を読んだり、Webサイトを調べているうちに、何やらちょっと違うのではと思い始めてきた。
理由は…どういうわけだかうちの中が療育的環境であったようなのだ。
どういうわけだかというのは正確ではない。
実は私がアスペルガーであったことが妙に幸いしたようである。
息子より後に診断がついたわけだが私もまたアスペルガー症候群である。
アスペルガー者は構造化を好む、説明もくどい方がわかりやすい。
私は息子が小さい頃、何かものを説明するとき構造化されたやりかたで示し、くどくど説明してきたようである。
単に自分がわかりにくい説明を息子にしなかっただけの事である。
だがそれは、書籍に示される、構造化の手法そのものだし、ABA的手法も結構使っていたようだ。視覚に訴えるのもけっこうやった覚えがある。
そういうわけで、書籍を見ていると、「おー、これやったぜ」の嵐なのだ。
繰り返すが、「自分ならそのほうがわかりやすい」をやっていただけである。
ついでに言うと、理屈っぽいくどい説明と生活の構造化は私の父も得意とするところで、私自身もそういった環境で育っていた。
私にとって、TEACCHプログラムの中の構造化というものは特に目新しいものではなく、育つ間において生活の端々で当たり前にされていた工夫であり、だからこそ、私自身が子育てをする時も当たり前に考える工夫であったわけだ。
それだけ構造化というものはアスペルガー者の脳みそに優しい。
では、それらをやらなかったらと考えると「わからないままに叱られ」「混乱を収拾できない」という現象がアスペルガー児の身の上には当然起こりうる事だと言うことになる。
そこにやはり療育の必要性が見えてくる。
<つづく>