トリアージ考

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Nice!

 NHKの小児救急特集に関する感想の続き。 本診に先だって手短で定型的な予診を行い、重症度に応じて本診の順序をきめる、いわゆるトリアージであるが、今後の救急診療には必須の手順となろう。重症者を迅速に診るということの、医学的な重要性はいまさら本稿で述べるまでもあるまい。加えて、リスクマネージメントの面もあるということを付け加えさせていただく。米国では(日本でも既出か?)化膿性髄膜炎に関して、外来受付時間から抗生物質の初回投与までに2時間かかったのは遅すぎ怠慢であるという訴訟があったと聞く。病院側が敗訴したというおそろしい追加情報まである。  現状でさっそく当院にも採用できるかというと、それは困難であろう。医師一人看護師一人でやってる小児科時間外では、トリアージに専念できる人員がない。当院では予診票を書いていただき、看護師が簡単な問診をするので、それがいくばくかトリアージのかわりになっている程度だろうか。めったに順番を変えることはないんだけれど。  人数もさることながら、小児の病歴を手短に聴取しバイタルサインなど把握して重症度を判断するなんて、そうとう小児科の経験を積んだ医師なり看護師なりが必要だ(経営的な思惑からおそらくはベテラン看護師の仕事になるんだろうけど)。うちはそんなことができる優秀な人を時間外にも揃えておけるほどの病院かどうか。  昔は私も漠然と、こどもを3~4人も育てた経験のあるベテランならたいてい一目で子供の重症度は分るだろうと考えていた。しかしよく考えてみれば、やはり「専門的」な手順が必要なのだ。というのは、トリアージを行えば、大多数の軽症患者は後回しにされるのである。トリアージの成否は、担当者の診断能力はむろんのことであるが、この後回しにされる大多数の人たちに納得を頂けるかどうかにかかっている。この人たちに、お子さんはこれこれの点でいま順番をとばして診察室に入った子よりも軽症なのですという説明を、客観的な用語を用いてできるかどうかである。その点で、年功を積んだだけでは足りないのである。  むろん、それも、軽症者は後でよいというコンセンサスが得られていればの話である。重症だろうが軽症だろうが関係あるもんか私の子を先に診ろというレベルの主張をされたら、トリアージのシステムは機能しない。  そんな理不尽な主張をすると、じっさい自分の子が重症であった場合に困るだろうという理屈は立つ。しかし、大多数の小児救急患者は軽症である。大多数の軽症の中からいかに極少数の重症者を検出するかが小児救急の勘どころなのだ。大多数の親子にとって、子が重症に陥ることなど生涯(すくなくとも小児期には)経験せずに済むのである。したがって大多数の親子には、トリアージなどなくても、実際のところ困りはしないのである。むしろ後回しにされる言い訳みたいな、不利益なモノなのである。  先に述べたNHKの特集でも、トリアージで先に診てもらえた子の親御さんが、重症だったから早く診て貰えて安心でしたと肯定的にインタビューに答えていた。しかし、本当に聞くべきは、軽症だとされて待たされた子の親御さんたちの感想だろうと思う。親御さんたちは納得してお待ちだったのか。納得しておられたとして、それは医学的に納得されたのか、それとも成育医療センターというビッグネームに威圧されてのことなのか。その人たちが、いやあうちは待ちましたけどあの子は大変そうでしたしね、助かってよかったですよと、おっしゃって下さるかどうか。ぜひ知りたい。  救急医療など、限られたリソースの配分をいかに最適化するかという問題においては、参加者のおのおのがシステムの円滑な運営に協力するという、総員の善意を前提にしないと、最適解は出せないものじゃないかと思う。各人が各人の利益を追求することが最適化の道になるためには、リソースが無限に供給されなければならないんじゃないだろうか。経済学的にはどうなんだろう。各々の善意を前提にしないと救急は回らないってのは、現場での実感なんだがね。相手を潜在的な(あるいは明示的な)敵と見なしての救急医療なんて燃え尽き必発だと思う。  トリアージの成否に関する責任を利用者側に押しつけたような内容になってしまったが、むろん、トリアージの成否を決める一番の要因は診療側の診療能力であるとは、肝に銘じております。その点、いずれまた書かせていただくかも知れません。 それと、これは声を大にして言いたいんだが、トリアージは確かに必要だけど、トリアージさえすれば救急医療のリソース配分は上手くいくから総量の拡充は不要だなんて議論が行政なんかから降ってくるようなら、それは違うよと申し上げたい。