いつもながらに寂しい秋は、随分と遅れて、突然にやってきた。春先にわくわくとさせられるのと、夏を挟んで全く対象になった形で冬の世界へ引き戻されるのは、肉体的にも精神的にも厳しい季節に向かう為か、この歳になっても一段ともの悲しく感じる。
別に海やプールが恋しい訳でもない。長袖を着ないと肌寒い街を歩き、ふと思えばいつになく寂しさを堪能している自分に気付く。
今秋からは中学に進学したベンの弟は、一人でバス通学をするようになった。よって、朝はスクールバスで迎えに来てくれるベンを確認するのみで、子供の世話でアパートを出る必要はいつの間にか無くなっていたのだった。
家に居ながらにして子供達が学校に行って、帰って来るなどということが、想像も出来ない程に送り迎えが毎日の生活の中に組み込まれていた為か、下校時間になると何だか落ち着かない。連れだって学校から帰って行く親子を目で追いながら何か物足りなさを感じている自分がいた。
たった1ブロック、正味10分の送り迎えでも、無くなってみると随分と時間に余裕が出来るもので、迎えにゆくという作業が1つの区切りにもなっていたのがわかる。そんなわけで、ここ数日は逆に時間があると思ってだらだらとしてしまう傾向にある。
元気よく家に戻った弟は、スナックを食べ宿題を済ませて公園へと遊びに行き、ベンは今期から月曜と水曜にアフター・スクールに行けることになり、週のうち2日は帰ってくるのが6時過ぎだ。
何だか急に手のかからなくなってしまった子供達を前に、僕は一体何をするのが良いのだろう?と考えてしまう。
お金も必要だ。一周懸命働いて、弟の方は奨学金を使うにしても、せめて目指す事の出来る大学の半分くらいの学費は何とかしてやりたい。お金の問題で、進学を諦めるような目には会わせたくない。
ベンにも出来る限りのお金を残してあげたい。これからどうなるにせよ、このアメリカという国で選択肢が多くなるのはやはりお金のような気もする。
何かをしてあげられる事で、気付かなかったた今までの生活から、核の部分が見え始めて来たような気分で、じたばたしても仕方が無い。そして、思うのはやはり彼らが一人で行きてゆけるようになってもらう事だった。
自分で責任を持って行きてもらう為に、出来る限りの知恵とアイディアを伝授する。本質的には赤ちゃんや幼児時代にやっていた事の延長線上にあり、その頃はスプーンの使い方だったのが、もっと具体的で物の考え方といった部分にまで及んでいるだけなのかも知れない。
学校から帰った弟は自分でツナ缶を開けて、ツナ・サンドを作った。
ベンの大好物のスナック、サラミ・チーズ・サンドイッチもサラミを切っておくだけにして、後は自分で調理してもらうことにした。
サラミは切ったが、僕は他に何をしてあげれば良いのだろう?