久しぶりの更新です。こんな気まぐれブログを読みに来てくれて、有難うございます。さてさて、近況報告と言いましょうか、私の決意表明と申しましょうか、今日は、そんな記事をアップしたいと思います。私の次男は、自閉症(広汎性発達障害)の幼稚園年長児。只今、5才9か月。半年後に就学を控え、同級生の親御さんたちが、「お勉強」を意識するようになったのか、はたまた、近々※「就学時健診」が実施されるせいなのか、子供たちの間で、学習意欲満々の会話が飛び交っている。(笑) 「3+2 は?!」 「5ーーーー!!」「100+100 は?!」 「そんなの、簡単だよーー!!」「ねぇねぇ、もっと難しいの、出してみて~!」なんとまぁ、頼もしいプレ小学一年生。 この学習意欲がいつまで続くかな~?と、微笑ましくもあり、ほんのりちょぴっと苦笑い。我が家の次男はと言えば、相変わらず、毎日の暮らしに多少の「難」は付きものだけど、色んな方面の先生方に支えて貰いながら、いい感じに成長しているようだ。そんな次男に、こんな事を聞いてみた。私 「それでは、足し算の問題です。 3+2 は?」次男 「ホンダ、エディックス。」私 「鶏の卵があります。 この卵から何が生まれてきますか?」次男 「ガンダム。」私 「では、次の問題ね。 道路にお金が入った財布が落ちていました。 拾ってどこに届けたらいいですか?」次男 「ヤフーオークションに出品する。」私 「じゃぁ、大人になったら何になりたいですか?」次男 「働く工場長。自動車の工場がいいなっっ」私 「お友達が転んで泣いています。どうしたらいいかな?」次男 「・・・・一緒に、・・・・一緒に、うぅ、 一緒に・・・・、泣くぅ~~~!!(号泣)」はい、終了~。泣かせちゃってごめんね。>次男当然、質問の合間に、間違った解答に修正を試みたのは言うまでもない。我が家の自閉症児は、園で教わったことも、普段の生活から身につくはずのことも、粗方、右から左にごっそり流れて行く。未だにお友達を必要とはしていないし、感覚も依然として過敏で、ちょっとしたことでパニックに陥り易い。おしゃべりも度を過ぎて、喧しいほどになっている。(笑)だけど、次男は、周囲を和ませる癒し系のオーラが漂っていると、確信している私。同年代の子供たちには理解し難いことばかりなんだろうけど、次男のお陰で、私たち家族が笑わない日は無いもの。昔は、障害を悲観して毎日泣いてばかりだったのにね。次男の存在が、日増しにこんなに愛おしいものになるとは、あの頃には想像もつかない事だった。(もちろん、長男も同様に愛おしいよ)この度の就学活動で、得たものがある。それは、「普通級」に拘らないこと。そして、「普通級に拘らない」にも拘らないこと。(笑)本音を言うと・・・・、障害を受容したはずの私の深層意識の何処かで、この先、次男の「障害」が「個性」の範疇となる可能性があるのなら、特別支援教育の下、「普通級」に無理にでも入れようとさえ考えていた。”みんな違ってみんないい”(金子みすずさんの美句)が、定型の子供たちの間だけの詩になっていないか、実のところ、”みんな同じでみんないい”が実態なのではないか、見届けてやりたい野心もあった。(ここいらに私の性格の悪さが出ている。)次男が割合意欲的にこなす学習面で、遅れを取りたくない。将来、就労するには、やっぱり一般就労をさせたい。お金で苦労はさせたくない、そんな思いもあった。そう、未練がましく、いつまでも「普通級」に拘っていた私が居たのだ。恋は盲目・・・というけれど、就学活動は、私を盲目にさせた。でも、それは正しい判断ではないと、就学活動を進めていくうちに気が付いた。親のエゴが大方剥がれて、無くなった感じだ。それに私は、次男を酷使してまで「啓蒙」に努めたくはないと思っている。周囲に「自閉症」を理解して欲しいと願うなら、まずは第一に、次男が安定し、優しい心を育て、温かい友達の輪を広げられるように、サポートしていかなくてはと思っている。間違った「啓蒙」はしたくはない。自閉症にも多様な症状があるように、「啓蒙」するにも、次男に合う「啓蒙」の仕方があるのだ。私は、今の次男の感性を、そのまま、生き生きと伸ばしてあげたい。その先に、おのずと将来の道は開けるものと信じているから。温かい人との繋がりこそが、次男の人生における手助けになってくれると信じているから。優しい心を持ち、周囲の人に愛される次男になれるように、現在の目標に向けて、航路は右に、全力前進、面舵いっぱーい!!うん・・・、多分、きっと・・・、これでいいのだっ。 ※「就学時健診」とは、就学時健康診断と呼ばれるもので、 就学予定児を対象に、健康上及び教育の面で助言を行うため、 健康診断と知能検査を、教育委員会によって実施されるものです。 その結果、特別支援学校、特別支援学級、普通級と判定が出されます。