周産期新生児学会では多くの有名な人の謦咳に接したのが収穫だった。論文や著作やメーリングリストやで名前や意見を知っていても、実際にどういう人なのかは、語り口に接してみるのがやはり一番のような気がする。強面な外見とはうらはらに実に細やかな心配りをなさる先生、理路整然とした発表を良い声でなさる先生、訥々と語る先生、そのほか諸々。誰が優れているとか劣っているとかじゃなくて、なるほどそういう風に語る人なのかという認識をいろいろな人について得たということで。
初対面の私にも細やかにものを教えてくれる先生もある。いかにも老師といった感のある先生であるが(老という漢字にはほんらい尊敬の意味が含まれているのだよ)、こういう著名な先生はたぶん「この先生こそ自分の師だ」と思わせるのが大変に上手なんだろうなと思う。さらには「自分こそがこの先生の目指す先を誰よりも正しく読み取っている」つまりは自分こそがこの師の正当な弟子だと、思わせるのが巧いんだと思う。そういう人のまわりにこそ人が集まるんだろうなと思う。技巧的な人間関係作りだと非難しているわけではない。たぶん老師はいまご自身がいちばん興味をお持ちなことを楽しそうに語っておられるだけなのだ。
地域の中心となって大きな施設を引っ張っている先生はそれなりの強い言葉を使われる。熱心なのは分かるがそんな物言いしてたんじゃ気づいてみたら誰も後ろについてきてないってことになりはしないのかと、他人事ながらちょっと心配になったりもした。引退間際に気づいてみたら自分が引退した後は施設も地域医療も衰退の一途だということになってたりして、と。じゃあ私自身みたいに弱腰な人間なら後ろに誰かついてくるのかと言えば、なおさら人は逃げるわけで。今日も600gの子の点滴に苦労しながら、老眼鏡を買う自分には後継者が現れてるんだろうかと、我が身と勤務先の行く末を案じたりした訳なのだけれども。
そんな中にあって、自閉症はメディアが原因と力説しておられるかのK先生がご発言なさるのを拝聴した。書き物ではトーンダウンしておられるけれども会場でははっきりとそう仰った。その語りと会場の反応を見聞きして、逆説的な言い方ではあるが、多少は安心した。数年待てばよいだけだ。