続いていた時間

24
Nice!

「Hi Dad!」 昼寝をしていた間に学校から帰ってきたベンの声で目が覚めた。

まる一週間の日本滞在は、たくさんの古い友達と、新しい出会いとが盛り込まれた映画のダイジェスト版のようで、あっという間に過ぎ去ってしまった出来事のようでもあり、1ヶ月旅をしたかのようでもある不思議なタイム感だ。

高校の頃から通った渋谷のラーメン屋さんに行けば、そこにはあの頃から働いていた2人が同じ様にラーメンを作っていてくださる。その関係は、全く変わらないままに、ご主人が亡くなったことにより、麺を茹でて盛りつけるのを一番長く働いていた料理人さんが仕切り、その料理人さんのやっていたラーメンの具を調理するのを2番目に長く働いていた料理人さんが仕切る。

その2番目に長く働いている料理人さんは、僕が高校生の頃に皿洗いとして働き始めたのを覚えているから、25年以上同じ関係を続けていることになる。時間の経過は白髪になった彼らを見れば一目瞭然だが、そんな客の僕も白髪混じりなのだった。

辞めてしまうことだって出来るこの関係を25年間続けている。家族であるわけでもなく、独立して自分の店を持つことだってきっと出来るであろうに、その二人はずっとそこに居てラーメンを作っていてくださる。

13年前に僕に加わったた関係はベンとの関係だった。辞めてしまうという選択のない関係は、不安で怖くもあり、果てしなく感じたりもするものなのだが、この料理人さんたちはどうなのだろう?

目標を持って生きるというグループの人がいるとすれば、僕はそのグループでは無いのかも知れない。目標は達成される事によって次の目標を作り出す。学校や会社でも、目標は全体を奮起させるのによく使われる一番のフォーミュラでもある。

ラーメンをさばく別の生き物のような手。毎日の積み重ねには目標はいらない。毎日することは生きる為の付属品になっていて、それには目標など全く必要が無く、ただ、前の回より上手に、手際よく出来る様にするだけだ。

僕は、ベンに対しての夢はあるが、こうなってくれたら良いなという漠然とした希望があって、具体的な目標は学校まかせでいい加減だ。学校や会社は逆に人に伝える「目標」という具体例が必要なシステムで、期末にはゴールという形でレポートが提出される。

「ラーメンを作るのが好きで、毎日やっているうちに月日が経過してしまった」ということなのだろうか?そこには、どうやっても身じろぎ一つしない確かな何かがあった。

ベンに出会う前の自分を思い出す日本。離れてから17年の月日が経ち、ベンが生まれてからはさらに遠い国となった気がする。切り取られたように以前の自分が今の自分とつながり、ラーメン屋さんでは同じ料理人さんが同じラーメンを作り続けていた。

食べ終えて、お金を払おうとすると、1番古い料理人さんから「ありがとうござ〜いました」と独特のトーンでお礼の言葉がかけられる。続いて2番目の料理人さんが「ありがとうござ〜いました」となぞるのだが、このタイミングまでもが昔と同じだった。

毎日の積み重ねの大切さを教えてくれる人生の大先輩に会ったような気のする、ラーメンの食べ心地で渋谷を後にした。