発達障害の支援ニーズをどうとらえるか?

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Nice!

発達障害者手帳は必要か?という問題から
精神の手帳、療育手帳などと別に発達障害者手帳があればいいのに...という話がSNSで回ってきた。
まあ、これに関しては要らないといえばいらないし、要るといえばいると私は思っているのだが、今日は精神の手帳から発達障害者の支援ニーズをいろいろ考えてみたい。
精神の手帳は取得したものの...
現状、精神の手帳で受けられる支援というのは、統合失調症or鬱病の単身者を想定して設計されている。まあ歴史的な経緯から考えれば当然のことではある。
発達障害者が何らかの理由で生活能力、説明能力が落っこちでしまった場合に受けられたら助かる支援というのは確かにあるが、そのほとんどが既存の支援メニューにはなく、よほど自治体窓口が柔軟に対応しない限りほとんど精神の手帳は役に立たないというのが実情。
6~7年前だったか、PTSDで私の調子がかなり悪かった頃、主治医が生活支援、つまりヘルパーさんの助けが必要だろうからそのためにと手帳の取得をすすめてくれ、私は手帳を取得したのだが、役所に行っても結局必要な支援は既存のメニューにはなく、何度か役所に足を運んだものの全くもって埒があかなかったという経験がある。 状態が悪くなったときの生活能力の落っこち方というのが現状あまり知られていない。たいてい同時に説明能力まで落っこちるのでそういうケースのニーズは伝わらず、知られることがないから制度に反映されるわけもない。
ただ、状態のよい時には手帳の必要性なんざまるで感じないというのも確かにあるのだ。
 
発達障害者の支援ニーズは機能から
支援ニーズのとらえ方から
発達障害者の支援ニーズというのは今まで主に「心理面」を主軸に捉えられてきた。「気持ち」に負の影響を与えないための支援である。
だが、これをニーズとしてしまうと個人の状態・経験に依存する部分が非常に大きくなり、合理的配慮の範囲が膨大になってしまう。そして生活の質の向上には案外繋がりにくいように思うのだ。
 
語られやすい問題と語られにくい問題
「気持ちへの負の影響」といった部分は発達障害当事者から語られやすい。そしてそれらのエピソード自体は非当事者にも比較的理解、共感しやすいものである(配慮が可能かはまた別の話だが)。
だが、「気持ちへの負の影響」が生じる以前に生活能力などに繋がる機能面でかなりの問題が生じているというのが実情だろう。
それに当事者自身で気づいていない場合も少なくないと思う。
聴覚刺激による負荷が大きかったというのを、デジタル耳せんをつけてみて初めて気がついたという人も結構いる。活動能力に不足を感じつつも「どうにもならないもの」と無理を重ねてしまう人も多い。脳や身体レベルでさまざまな無理を重ねていれば気持ち=精神面の問題もより大きくなるだろう。
私にしてみても聴覚の負荷が活動能力に影響することには早くから気がついてはいたものの、デジタル耳せんが長年の出不精返上に一役買うなどとは夢にも思っていなかった。
ずっと続いている状態であればあるほど、目に見えない機能面の問題は気がつきにくく、トラブルの生じやすさとか、実際にトラブルが生じた時の気持ちの問題ばかりがクローズアップされてしまう。
「気持ちに寄り添う」「当事者の声をきく」というのは精神科医療や福祉の方面では非常に重要視されるようだが、発達障害においてはそれが実は機能面での問題を見えにくくしてしまっている面はあると思う。
こういった事を踏まえて発達障害者の支援ニーズを考えると、生活能力や説明能力など、生活していく上で必要な能力を支える脳と身体の機能面から見ていったほうがいいのではないかと思う。
 
まあ、となると認知面や感覚面を中心にいままで語られてこなかったことを掘り出す必要はあるんだろう…というわけで、ときどきは前回のようなメカニズム面に焦点をあてた記事をかいていきたいと思う。
 
 
▼デジタル耳せんはほんと重宝してます。

↓下記は高次脳機能障害の本だが、自閉脳と似た現象が多くてビックリ。

 

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