さて、先のエントリでも触れましたが、今回、妻が次女を出産するのにともなって、長女の学校・学童通いを含む家事一切を1週間まるごとやる、という経験をしました。私自身、一人暮らしを12年やっていましたし、長女が生まれてから1日程度の留守番はなんどもしてきましたが、それらと「子どものいる家の家事をまる1週間やる」というのは、量だけでなく「質的に」まったく違うものだ、ということを今回実感しました。それはつまり、1週間ないしそれ以上継続して家事をやる、ということは、家庭のエントロピーを増大させないこと、あるいは家庭のエコサイクルをまわせるように家事をこなすことだ、ということです。これは、一人暮らしのときやこれまで経験してきた1日の留守番では実感として全然感じてこなかったことでした。例えば、娘が学校にいくための学校かばんに入れる基本的なアイテムとして、「体操着」「給食時のエプロン」などがあります。ところが、これらはどれも2,3着しかストックがありませんので、学校で使って戻ってきたら、すぐにかばんを開けて取り出し、翌朝にでも洗濯をして、ちゃんとすぐに干して、遅くとも使った1~2日後にはまた使える状況にして回していかないと、すぐに足りなくなってしまいます。これは学校の用意だけでなく、例えば洗面所やキッチンの手ふき用タオルにしても、使っていればすぐに汚れてしまいますし、やはり数としては3セットくらいしかない(新品のストックは除いて)ので、きれいなものを毎日使うためには毎日の洗濯が必要になります。洗濯して干す、という作業を繰り返すためには、物干し用のハンガーも繰り返し使わなければならないので、一人暮らしの頃にやっていた「物干しハンガーに干しっぱなしでそこから使うときに取って使う」みたいな方法は使えず、やはりちゃんと取り込んで畳んでクローゼットにしまう作業も避けられません。そして、その「しまう」の部分も手抜きをしてどこかに山積みにしてしまうと、いざ学校かばんの中身を用意しようと思ったときにどこに何があるか分からなくなったり入れるものの取りこぼしが起こったりするので、やはりさぼらずにちゃんとしまうところまでやらないといけなくなります。実際、3人とか4人の家族のための家事(しかも、娘のように全介助が必要な子どもがいるような状況下ならなおさら)というのは、作業量が非常に多く、しかもその大量の作業を全部こなしつつ、放っておくとどんどん増大していくエントロピー(乱雑さ)を減少させるための作業(洗濯・掃除・片付け・整理など)も同じくらいしっかりこなしていかなければ回らない、ということです。1日だけの「留守番」で発生する家事は、単にあらかじめ依頼された「やるべきこと」を済ませれば終わり、というワンショットの業務です。だから、そこでの「家事」というと、「洗濯」「料理」「送迎」のように、ばらばらの作業がいくつか存在している、という、ただそれだけのことに過ぎません。そして、たとえば「洗濯」なら、「洗濯機を回す」ということを中心に考え、そこから離れていけばいくほど(たとえば、乾いた後の洗濯物をたたんでしまうなど)、何となく意義を感じなくてついさぼってしまったりします。でも、毎日家事を継続して回していかなければならない、ということを前提にすると、「洗濯」というのは、「洗濯機を回す」ことではなくて、「きれいな服がいつでもすぐに着られる、という状態を復元すること」が目的だとはっきりわかります。だから、「洗濯機を回す」ことではなく、「最終的にきれいになった服をたたんであるべき場所にしまう」ことが本質的なゴールだということが実感でき、「洗濯機を回す」というのはあくまでも過程であり手段に過ぎないということが実感としてわかります。そう考えていくと、「料理」という家事も「空腹を満たした上で、かついつでも次のおいしい食事が作れる状態を復元する」ことが目的だとわかりますし、掃除というのは「快適に生活できる衛生的な環境を復元する」ことが目的の、家事の中でもかなり重要なタスクだということに気づかされます。これは、私も含めて、ふだんそれほどヘビーに(たとえば1週間丸々、連続してサポートなしに)家事をやっていない人間はなかなか気づけない、とても大事なポイントだと思うのです。(次回に続きます)