「聲の形」から考える、「いまここにある障害者いじめ」(4)

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このシリーズ記事では、いま話題のまんが「聲の形」をとりあげています。 聲の形 第1巻・第2巻・第3巻大今良時講談社 少年マガジンKC現在週刊少年マガジンに連載中のまんがで、単行本は現時点で2冊出ており、3月17日には第3巻が発売される予定です。さて、前回触れたような、「障害ある人を支援するためのさまざまな処遇(モノ・カネ・仕組み、そしてココロ)」、そして「私は他人と公平に、もしくは優遇されて扱われたい」という、誰もが持つであろう願望、さらには、「公的なシステムで裁かれない『不公平』は、私的に裁いて『正義』を実現するしかない」という、「いじめの論理」の1つのロジック(正当化)とが不幸に出会うと、どのようになるだろうか、ということを、これから考えていきたいと思います。ただ、このあと、少し理屈っぽくなりますので、今回のエントリで結論から先に箇条書きで書いてしまおうと思います。なお、ここで書いていることは、先週触れたような価値観から「障害者いじめ」を行う者が自らの行為を正当化するための理屈であって、私がこう考えているということでは決してないということはあらかじめ言っておきたいと思います。<障害者いじめが正当化される、1つのロジック>・障害者(であるあいつ、もしくは一般論としての障害者たち)はすでに「モノ」「カネ」「仕組み」といったものについての「特別な配慮」によって恵まれ過ぎた環境にある。・そのうえでさらに、個人の価値観にまで入り込んで、さらなる「特別な配慮」の気持ちをもち行動することまで求められてしまう。・これじゃ障害者のほうが私(たち)より恵まれてるじゃないか。・人はみな公平に処遇されるべきだ。特定の人間が特別扱いされて恵まれるのは許されない。・したがって、このような「不公平」で「特定の人間だけ恵まれた状況」は何らかの力によって是正されなければならない。・本来ならこのような「力による不公平・不均衡の是正」は公的な力(警察、司法、行政)によってなされなければならないはずだが、それらはむしろこの「不公平」を作り出した側であり、是正することはまったく期待できない。・ならば仕方ない、コミュニティが自ら「恵まれ過ぎている人間」に制裁、ペナルティを課して「恵まれている状態」を剥奪することで、「あるべき公平で均衡した状態」を作り出さなければならない。・まず、個人のレベルで「是正」可能なのが、「障害者に配慮しなければならない」という価値観の放棄だ。すでに十分恵まれ過ぎてるんだから、これ以上配慮する必要なんてない。むしろ、何も努力せずにこれだけ恵まれた環境をてに入れた「勝ち組」なんだから、そのことで叩かれるくらいでちょうどいいバランスだ(むしろそれでも足りないくらいだ)。・次にできることは、既に与えられている「モノ」「カネ」「仕組み」の恵まれ過ぎた環境を剥奪することだ。補聴器を奪って壊したり、カネをカツアゲしたり、通路に障害物をおいて車イスが通れないようにしたり、いろいろやって今の恵まれ過ぎた環境をどんどん破壊していくことで「不公平な状態」を是正していかなければならない。・さらに必要なことは、障害者にいまおかれている恵まれた状況を理解させ、それにふさわしい振る舞いをさせることだ。恵まれすぎた環境をもらっているんだから、そのことに感謝し、謙虚かつ誠実に、最大限の努力を続けていることをコミュニティに示し続けなければならない。それでも恵まれ過ぎていることには変わらないんだから、コミュニティから制裁を受けることも甘んじて受けなければならない。・さらに、その「恵まれすぎた環境」はわざわざ私たちのコストで与えられているのだから、できればそれらを使わずに生活し、私たちにできるだけ負担を与えないよう振る舞わなければならない。それができないなら、さらに制裁を加えられても仕方ないだろう。(次回に続きます。)