こんばんは。カイパパです。今日はお通夜に行って来ました。とおりいっぺんのことしか言えませんでした。他にかけるべき言葉があったんじゃないかと考え続けているのですが、見つかりません。他人であるじぶんにはかける言葉がない…そのために、とおりいっぺんの言葉が決まっているのかもしれません…。
12月8日の勉強会のレポートをコツコツと書いてきて、ようやくゴール(次回最終回)が見えてきました。最終回の記事はまだ一文字も書いていませんが、ここで一拍おいて、今感じている想いを書き留めておきます。
日々大量の情報に接し、インプットをしています。──情報が好きなのでしょう。新しい情報、心を動かす文章、物の見方が変わる考察、「意味」を問う哲学などなど。わたしの興味関心をひく情報は、「これは、Aさんに伝えたいな」「これは、Bさん喜ぶんじゃないか」「これは、自閉症の支援者に伝えたい」という基準に引っかかるものです。
けれども、アウトプットしなければ他人に伝わらず、効果を発揮することができません。
逆に言えば、アウトプットを少しずつでも日々積み重ねていけば、インプットに見合っただけの効果が期待できます。
あきらめないこと。
変化や反応が見えないからと言って、「意味が無い」と思わないこと。
自分が知っていることが「大したことない」と卑下せず、他人の役に立つかもしれないと思って発信を続けること。
アウトプットしたものは残る。波紋は広がり、いつか自分のところへ返ってくる。
アウトプットするためには、時間がかかります。エネルギーも必要です。質を要求すると特に。「ゼロ」よりは不完全でも出したほうがよい。間違っていたら誰かが訂正してくれると信じて。
「ケアホームを考える勉強会」の報告を書いていたら、千葉県の袖ヶ浦福祉センター養育園(知的障害者入所施設)の事件の報道が入ってきました。これは自分にとって偶然ではないと感じました。
権利擁護とケアホーム、それがこれからのわたしのライフワークになっていくのでしょう。2014年はその幕開けの年。
わからないことばかりだから、ひとつひとつ人に教えてもらって学んでいきます。学びの過程を、ブログでシェアしていきます。
無知や不勉強をさらすことは勇気がいります。アウトプットは「自分はこれだけわかっている=これだけしかわかっていない」限界を明らかにすることなんですね。恥ずかしいけど、だからこそ、意味があるとも思うのです。
みなさん、どうかわたしに教えてください。
そして、ぜひ一緒に学び、しあわせな「当たり前の生活」をつくりあげていきましょう。
よろしくお願いします!