聲の形 第1巻(まんがレビュー)(4)

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「障害者へのいじめ」というデリケートなテーマを扱った、気鋭の漫画家大今良時氏の話題作、「聲の形」のレビュー(単行本1巻および連載中の内容までを含んでいます)記事、今回でシリーズ記事として4回目になります。

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聲の形 第1巻大今良時講談社 少年マガジンKC(上が楽天BOOKS、下がAmazon)※連載中の内容まで含む、ネタバレの内容を含んでいますので、未読の方はご注意下さい。さて、前回のエントリで、ヒロインの硝子がみせている「天使(もしくは聖人)のような振る舞い」は、もしかすると社会で生きていくための「殻」であって、その「殻」を破らない限りは、彼女の本当の気持ちは見えてこない(という構造にこの物語はなっている)のではないだろうか、という問題提起をしました。そして、他ならない将也こそが、唯一、これまでにその「殻」を揺さぶったことがありました。それが、硝子が転校するきっかけにもなったであろう、小学校パート最後の二人の大喧嘩のシーンです。この喧嘩は、いじめ的なものとは対極にあって、硝子にとっては「本当の気持ちをあらわにしてぶつける」という、ある意味とても健全な感情の爆発、吐露だったといえるでしょう。ところが、これをきっかけに、硝子は転校することになってしまった。これは、硝子にとって「悲劇」だったというほかないでしょう。言うまでもなく、その「悲劇」というのは、将也との喧嘩に巻き込まれて(ケガとかをして)しまったといったことではありません。むしろまったく逆で、たった一度の「本気でのぶつかり合い」が、結果的にまたもや転校させられるという顛末に至ったという点にこそ悲劇はあったと言えるのではないでしょうか。つまり、「私が本当の気持ちをぶつけたら、やっぱりみんなに迷惑がかかって『その場』から追い出されてしまうんだ」という学習をしたことになってしまったんじゃないか。障害者である自分が「本気でぶつかる」と、周囲の大人はそれに対して「罰を与える」という構造を、硝子に改めて見せ付ける、そんな事件になってしまったんじゃないだろうか。思い当たる場面があります。単行本では恐らく第2巻に収録されるであろう、将也と結弦の間でこんなやりとりがありました。結弦の悪意によって将也が自宅謹慎になってしまったことを結弦が将也に告白したとき、将也は怒らず、「お前でよかった」と言います。「なんで怒らないの?」と問う結弦に、将也は「だって自分が悪いから」と返します。そして、結弦は「絶対に怒らない硝子」のことに思いをはせます。怒らなかったのは、自分が悪いと思っていたから?悪いというのは、人に迷惑をかけていると認識していたから?障害があるがゆえに、どんなに頑張っても必然的に周囲に不便をかけたり、助けを受けなければいけなかったり、ときに周囲を不愉快にしたりしてしまうことはあるでしょう。それを、まだ小学生の硝子が「自分が悪い」「迷惑をかけている」と認識して、それが理由で、いじめを受けたり冷たくあしらわれたりしてもやむを得ない、と認識しているとしたら、それは間違いなく「周囲のおとなたち」や「社会」が硝子にそのようなメッセージを送り続けて、硝子がそれを学習したからに他ならないでしょう。だとすれば、それは間違いなくある種の「呪い」です。どうして、まだ小学生の女の子が、すでに呪いをかけられ、その呪いにどっぷりと浸かるようなはめにならなくてはならないのか…ここで、2つほど前のエントリでいったんペンディングにしておいた「名誉健常者ロールモデル」の話の流れに、緩やかに戻ってくるわけです。(次回に続きます。)