今回のシリーズ記事では、我が家でのホワイトボードを活用した(あるいは、きっかけにしたさまざまな)コミュニケーション療育の話題について書いています。さて、前回までの記事で、従来から、娘に「時間」の概念を理解して活用できるように支援することに非常に苦労してきたこと、そして、それとはもともとは独立して、「夕食のメニューのホワイトボードへの提示」という支援を始めたことを書いてきました。もともと、私たちがホワイトボードに描いて伝えようとした「夕食のメニューの表示」には、時間の要素は入っていませんでした。というより、より正確には、「入れたつもりはなかった」と言ったほうがいいかもしれません。たまたま、先に食卓に並ぶメインの夕食が上に描いてあって、食後に出てくる果物は下に描いてあったわけですが、それは特に意識をしたわけではなく、私たちが常識的、無意識的に、「先に食べるものを上に描く」ということを行っていたにすぎません。でも、娘はそのホワイトボードに対して、私たちが予想していなかったリアクションをとりました。最初に食卓に並ぶ食事がひととおり終わったら、ホワイトボードのそこまでの部分を消し、ホワイトボードの表示を「果物」だけにすることを求めてきたのです。私たちがその要求にしたがって食事部分を消すと、残った果物の名前を読んで、「ください」と要求する、そして家族で食後の果物を食べる、そういう流れを、娘が自発的に作っていったことになります。ここには「時間の流れ」があります。今まで、さまざまな試行錯誤を繰り返してもなかなかうまく実らなかった「時間の流れを実際の生活のなかで理解し、活用すること」の芽が、まちがいなく芽生えています。娘が、ホワイトボードの絵を消したがる、という何気ない反応に、「時間の流れという概念の誕生」という大きな発達の芽が含まれている、と気づいたときは、ちょっと感動しました。ただ、娘がなぜ、このタイミングで、ホワイトボードのメニューを順に消していくという方法を「自ら考案」し、ある意味「時間の概念」を(極めて限られた範囲でですが)理解し、かつ実際に応用できるようになったかは、正直なところ、明確にはわかりません。というのも、同じようなことは既にこれまでにも何度も絵カードでトライしてきていたからです。そして、それはあまり結果としては成功してきませんでした。例えば、スケジュールを絵カードを縦に並べて、トランジションエリア(我が家では、リビングを出たところの廊下の特定の場所)に掲示し、スケジュールが1つ進むたびに絵カードを1枚ずつはがしていく、という構造化を試みたこともありました。これは、かつて娘が受けていたTEACCHのセッションで実際に行われていたやり方でもあり、そこの先生からアドバイスも受けながら始めたやりかたでした。ところがこれも、やらせればやりますし、その際に絵カードの内容を読み上げたりといったこともできたことはできたのですが、それでも、「その操作を通じて、時間・手順の流れを理解して、スケジュールを実際に活用できている」とはなかなか感じられないものでした。結局、並んでいる順番を無視して、スケジュールのなかの「一番好きなもの」にこだわってしまい、真っ先にそれができなければ崩れてしまうことが多かったのです。つまり、スケジュールの途中に「好きなこと」があった場合、たとえすぐにそれができなくても、スケジュールを上から順番にこなしていけば、後でそれができる、ということがなかなか理解できなかったわけです。(次回に続きます。)