日吉ダムへ往復

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Nice!

日曜朝に病棟へ顔を出したあと、10時出発で日吉ダムまで行ってきた。鞍馬から花脊とか芹生とか、今までは原生林が広がっているとしか思っていなかった地帯を自転車で走ってみて興味を持ち、このところ金久昌業著「北山の峠」全3巻とか澤潔著「京都北山を歩く」全3巻とか読んでいたので、山へ行ってみようと思った。「京都北山を歩く」は安曇川水系についての記載がない。百井とか大見とか尾越とか葛川とか。この地域についての幻の第4巻があるのかも知れない。ご存じのかたご教示いただければ幸甚です。往路は清滝道から下六丁峠を越えて保津峡へ降り、水尾・樒原・越畑を越えて神吉から日吉ダムへ到達した。神吉から柿の木峠とよばれた切り通しをとおってダム湖の上流の端に至る。ダムの本体に至るにはダム湖の湖畔を走ることになる。ダムは梅雨前で水量が落としてあった。昔の棚田の跡が湖面から顔を出していて、なるほど人里を沈めたのだなと思った。湖全体に、自然にできあがった湖とは違ったまがまがしい感じ、現代人に対して敵意を持つ「ぬし」が棲んでいそうな、得体の知れない感じがした。千年以上にわたって人が暮らしてきた歴史を人為的にいきなり断ち切ったのだから、放置しては祟りが生じるのが当然である。きちんと祀るのが大切なんだろうと思った。今の時代に寒中水泳をしたり参加者の身体に墨を塗ったりといった、NHKの地方版のニュースに出るような祭りをやれというのではない。ここにあった歴史と暮らしを淡々と記録し記憶しておくことだと思った。そういう資料館が湖畔にあるはずだからぜひ行ってみようと地図をみてもくろんでいたが、じっさいに来てみると道沿いには案内もなにもない。ないままにダムが見え、ビジターセンターと称する瀟洒な建物が見えてくる。入ってみたがダムの効能を称揚する展示ばかりだった。森の自然についても褒め称えてあって、ダムは決して自然と対立するものではないと言いたげだった。沈んだ村の歴史についてはちょろっと触れてあるばかりだった。まるで結婚式に呼ばれなかった親戚みたいな扱いだった。ダムの麓のスプリング日吉という施設で昼食にした。レストランや土産物屋に加えて温水プールや風呂もあった。ダムを造った予算のお釣りでできた施設なんだろうけれども、ダム建設にはでかい金が動くんだなあという感慨をもった。こういう大盤振る舞いができたらさぞや気持ちいいことだろう。まして他人の金を大判振る舞いして自分の手柄にできれば笑いが止まらないだろう。ダム造りを止めさせるのにはパワーがいるわけだと思う。往路でダム湖の南側を走ったので復路は北側を廻ることにした。北側の道は南側よりも細く、自動車の交通量もはるかに少ない。路面はそれほど荒れていない。落石にさえ注意すれば自転車には北側の方が走りよい。走りよいので橋の名前など目に入る。沢田橋とか。たぶんこの橋がまたいでいる沢にはかつて沢田という集落があったのだろう。水面が下がって現れた湖底に田んぼの跡らしい段々が見える。なんだか痛ましい気分になる。やっぱり資料館を見ずに帰ってはいかんだろうという気がしてくる。湖畔の展望所だったかで案内を見たら、どうやら南岸の「府民の森」とかいう施設にあるらしい。南側か。ダム湖の中程を南北に縦断する橋を渡ってもういちど南へ戻り、その施設へ行ってみた。高所恐怖症なので橋のたもとで湖面を見下ろしてちょっとたじろいだが、欄干に「ゆめのかけはし」とかいった白々しいにも程がある名前が刻んであったり、沈んだ集落の在りし日の写真が陶板で埋めてあったりしたので、こりゃあ渡らなければ祟りがあっても全面的にこっちの落ち度だという気分になった。施設には沈んだ天若と総称される地域の模型が展示してあった。手作り感あふれるジオラマだった。いまの湖面が透明なアクリル板で表現してあった。痛ましいほど即物的ではあったが、このそれなりに広い地域が沈んだのだという痛ましい事実をあからさまに表現した感があってなかなか目的に沿った展示物だと思った。沈んだ土地から移転させたわらぶき屋根の民家が2軒保存してあった。驚いたことに出入り自由だった。縁側に座らせて貰った。目の前のほんらいは庭だったろう場所が芝生なのが殺風景だが、しかし気分が落ち着いた。1800年代の初めにできた家とのこと。のび太からセワシにわたるほどの世代が代々住んだ家ということになるのか。家が人になじんでいて、空気からほどよくカドがとれていた。休憩しているうち時間が経っていて、気がつくと16時をまわっていた。真っ暗になるまでに京都へ帰り着きたいと思って、地図で最短経路を探した。ダムにそってさかのぼったところにある弓削弓槻という集落から京北の細野へ越す峠道が最短だと思った。弓削弓槻までの道は深い谷で、南側にも高い山が続いており、走りつつも本当にここを越える峠道なんて存在し得るんだろうかと焦ったが、弓削弓槻から南へ入る道は広くて路面も美しく、峠越えにはトンネルもできていた。トンネル内部は広い歩道もついていて、自動車の脅威も感じず楽々と越えることができた。トンネルからは細野の集落を通る下り道で、162号線の笠峠よりやや北寄りに合流する。合流地点には細野小学校という廃校がある。廃校といってもいやに新しい建物で、まったく煤けた様子がなく、明日の月曜日からまた生徒が登校してきてもぜんぜん不思議ではない印象だった。玄関ロビーの傘立てに笠が2本さしたままになっていたのが目に付いた。今でも土地の人がなにかに使っているのだろうか。管理ついでに何かに使っておかないと、こんな集落の入り口に幽霊屋敷なんてできあがってしまっては集落の存亡にかかわるだろうとは思う。162号線は交通量が多く、笠峠をトンネルで越えるのも命が縮まる思いがする。難儀なので杉坂口から左折して京見峠を越えて帰ることにする。疲れた足なので峠までの登りはまた泣きそうになったが、後ろから絶えず車に煽られるよりはまだマシだった。京見峠も木が生い茂っていて写真で紹介されるほどには京都の街並みは見えないんだけど、それでもちらっと見えた京都の街並みにはほんとうに安堵させられた。