続きです。アスペの要素をたくさん持っているのに、生きづらさを感じていない人。その理由は、「少数派である不便を感じることのない環境にいたこと」と、「自分は間違っていないと思い込んでいること」の2つが考えられます。私の母は、その両方の理由に当てはまります。まず、少数派である不便を感じることのない環境にいました。母は外で働いたことがありません。学校を出て20代前半に結婚して、それから約40年間ずっと専業主婦一筋です。 母はかなり抜けてるところがあり、失言も多々あります。 外でそれをやったら大ブーイング間違いなし・・・・ということを散々やらかしていますが、家の中だけなので、誰にも叱られることがありませんし、自分でもそれが変なことだとは気付いてません。 もし家事も失敗だらけなら同居の姑(私の祖母)に怒られてたかもしれませんが、母は家事だけは得意でした。家事をきちんと出来る母の事を、祖母はとても気に入っていました。だから日常の失敗や失言は大目に見ている・・といった感じでした。専業主婦という職業は、家事が得意分野である母にとって、最適な職業だったのです。 だけど、母の数々の無神経な発言に、私はたくさん傷つけられました。母はそれすら気付いていませんでした。思いこみの激しさは、私の数倍上をいきます。 母は、「普通は~」とか「常識的に言うと~」という言葉をよく使うのですが、母の言う「普通」はどうみても「普通」ではない。なのに「普通」と言い張る。自分の考えが他とズレていることに全く気付いていません。自分が少数派だという自覚がないのだから、多数派に合わせようとしない。だから生きづらさを感じない。もちろん二次障害も無い。羨ましいといえば羨ましいのだけど・・。でも「無自覚のアスペルガー」というのは、どうなんでしょうね…「生きづらさを感じなければならない」と言ってるわけではありませんが、少なくとも「少数派を自覚すること」は大事なんじゃないかな、と思う。だけど少数派を自覚すればけっきょくは周りとのズレに悩み、生きづらさを感じることになるのかもしれない。私は、アスペ当事者が生きづらさを感じないような世の中にしたいと思うけど、一方で、自覚は大切だと思うし・・この矛盾はどうすればいいのだろう。