このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。今回取り上げるのは、「時間的見通しについてのスキル」についてです。「しない」というコミュニケーションは、言い換えると、「行動の予約についての取り消し」です。つまり、「将来についてのある種のコミットメント(何か言うこと)」なわけです。ですから、「しない」というコミュニケーションを自ら理解し、使いこなすためには、この「時間的見とおし」についてのスキルがどうしてもある程度必要になってくるのです。これを、少し違う視点から考えてみます。こちらが「Aをする?」と聞かれて、子どもがAをやりたくないとき、「しない」という最も適切な反応ができずに、その代わりに「Aをしたくなくてパニックする」という反応が出てきたとします。でも、このパニックには、もう少し細かく見ると2つの種類があると考えられるのです。1つは、「これからAをやらされそうだけど、やりたくない」ことに対するパニックです。これは、Aをやるということが「将来のこと」だということが分かった前提でのパニックですので、前の記事でも書いたとおり、パニックという不適切なコミュニケーションを、「しない」という言語による適切な反応に置き換えていくという働きかけだけで対応できると考えられます。一方、もう1つのタイプのパニックとして考えられるのが、そういう時間的見通しのないパニックです。これは、「A」ということばが発せられることによって、あたかも既にAをやっているかのような反応が引き起こされるというパターンです。つまり、「Aということば」→「Aが嫌だというパニック」と、ダイレクトに既成事実的にパニックを起こしてしまうという反応のことを指します。この違うを表現するのはちょっと難しいのですが、結果論的にいうと、「A」と言ったり、「A」の絵カードを見せた瞬間に、実際にAをやらせたのとまったく同じパニックになってしまい、そこでAをさせるのをやめたとしても、もはや元には戻らないような、そういうパニック反応のことです。この状態の子どもの場合、例えば「A」と「B」の絵カードを見せて、どちらかを選ばせるようなコミュニケーションも困難ですので、そういった反応パターンから、総合的に前者のパニックと見分けることができます。娘の反応は、ながらく後者的だったので、なかなか「しない」というコミュニケーションを教えることができませんでした。これは、他の記事でも書いているとおり、娘にとって、将来の見とおしや時間の概念を理解することが非常に難しく、この部分において最大のハンディキャップを抱え続けてきたことと、おそらく強い関係があると考えられます。(次回に続きます。)