俺様の特徴的な知恵熱?

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Nice!

IMG_0002.jpg( 俺様の脳みそは 新しい体験をすると『ショート☆』するのだ! )この写真は まだNYにいた頃・・・たぶんMACの中のものだと思います。小さい頃から、お熱がでやすかったのですが・・・いまでもかい! というようなことが ちょくちょくおこります。それは 小児期崩壊性障害だから・・・・というわけではないと思うのですが、新しい体験や、脳みそにびびび☆と来るような体験とか、ものすごく難しい数学の課題が ある日突然 ひらめくようにできはじめた・・・とか・・・特定のものというのは無いのですが・・・15才の俺様・・・いまだに 脳みそがショート☆して熱がでてしまいます。それは・・・昨日の『はじめての体験 2連発・・・』1.学校の帰りにママと喫茶店で待ち合わせ2.大井町駅から家まで 一人で帰り、鍵を開けて家でお留守番1は 前の日から話をしていました。「学校が終わったら、この地図のお店に来てください。ママがいます。」朝、もう一度、確かめます。定期券の入っている手帳に ポストイットで地図を貼り、指示の文が書かれています。「学校にいる間=がまん」しているわけです・・・長い課題です(汗)喫茶店は 学校下の交差点の対角線上にある コンビニの隣にあります。このお店は 夏にパパといっしょに「オレンジジュース」を飲んだ体験があります。メモには コーヒー・ショップで「オレンジ・ジュースを飲みます」と書いておきました。 (そこで何をするのかが わかりますので安心します)私は まこちゃんの学年のお友達のママと、まこちゃんを待ちながら お話をしていました。そろそろ時間かな〜〜〜と学校のスロープの方を見ると、信号をにこにこ顔でわたってくる まこちゃんが見えました。後ろから、クラスメイトが一緒にきました♪まこちゃんは とっても嬉しそうに『マップ見ました。僕はこれました!』と報告してくれました。え〜〜〜と、それから ママ同士のなが〜〜い話に まったりとしながらおつきあいをしてくれた まこちゃんです。2は ちょっとお疲れ気味のまこちゃんだったので、駅で まこちゃんに聞いてみました。「お母さんは スーパーでお買い物をしますが、まこちゃんは 家に一人で帰れますか?」『ぼくは 大丈夫です。』「では、鍵をリュックに入れます。よろしくお願いします」そして、駅で別れました。家に帰ると 着替えも終わり、楽しそうにパソコンリラックスをしていました。2学期に入って、学校生活も本格的にスタートして・・・ くもんの英・英語のクラスも 市ヶ谷の駅からは信号を渡って一人で塾に到着し、学習をしていました。私は遅れて到着・・・。また、スーパーの7階にある本屋まで 一人でエレベーターで移動して (私が買い物中は)本を読んでいて、おおよその時間で7階のエレベーター前で待っていてくれたり・・・ちょっとずつ、自分で大丈夫そうな範囲を 一人で行動できるようになってきていました。わたし的には順調な生活をしていたのですが・・・まこちゃんには新しい経験という刺激が累積してしまったせいか・・昨日の夜から 急に発熱・・・顔が真っ赤になっていました。風邪ひいちゃったのかな〜〜〜 それとも・・脳みそがスパークした知恵熱か・・・?お熱があっても くた〜〜っとはしていないのですが・・・時々 しずか〜〜になっている時や動きがにぶい〜〜感じの時に熱をはかると微熱がでています。体調はあまり良くありません・・・熱がある時に学校に行かせて無理をしても 何も良いことはありませんし、つらいだけ・・・こんな時は 家で 静かにしていて熱が下がり、体調も良くなり、学校に行きたい思いや自信がついて行けることが一番です。先日の事でした・・・まこちゃんの障害発症時の話を知人としていたのです・・・外国の事例になりますが、知人の親戚のお子さんが 3才まで完全な正常の発達をしていた男の子ですが、急に言葉を話さなくなり、視線を合わせなくなり・・・できていた行動が日に日に全くできなくなっていき・・・まるで重度の自閉症の子どものようなようすになった・・・という話を聞きました。複数の病院に連れて行き診察してもらいましたが、全く 原因がわからず、症状も何に該当するのかさえわからない・・・ということでしたとても発症率が少なく、症状は重く・・・ただ、まこちゃんのように ゆっくりとだけれど成長をみせていくこともあるので、療育や細やかな指導をしてみてほしい・・・と話しました。小児期崩壊性障害で壊されるのは 子どもの精神だけではありません・・・。突然の苦しみに 家族みんなが壊れていき、修復するのにはたくさんの時間が必要でした。原因がわからないことで、お互いにお互いを傷つけあい・・憎しみをもったことさえあったのです・・・。精神科医の中には 小児期崩壊性障害を簡単に否定し、折れ線型の自閉症だと語る方もいますが、その方は この障害が子どもに起きた当時の何も知りません。何年か後の成長後の症例を見て 自閉症の折れ線型だとか、もともと因子が父親か母親にあって 遺伝でもともとあったものが 何かしらの刺激で出てきたにすぎない・・・とか・・自分の知っている範囲の知識に当てはめて 知らない物には 違う名前をつけて解決しようとすることが何度もありました。お医者様の言うことですから、面と向かって 否定したことはありませんが・・・そのような話をされれば 一応は受け止めますが、失望感と・・ 大きな落胆です・・・それも一度や二度ではありませんから・・・就学相談の時にさえ=精神科医と会えば=その繰り返しなんですから・・・。誤診で、間違った療育がはじまり、間違った言語指導や作業療法が行われていったら・・・?自閉症では説明のつかない部分があるから 違う障害名がついていることを 忘れないでください。自閉症だって どの子もみんな違うように、この障害名がついたからといって、全ての子がコピーのように同様ではありません。成長のことも 環境もみんな違うんですから・・・・。そして、世界には わけのわからないこの障害が ある日 突然、落雷にあったように始まり、意味もわからず 壊れていく子どもを前に 何もできない無力感と 焦燥感と 喪失感に 一生悩み苦しむ家族があることを 忘れないでください。過去には・・・自閉症であったら どんなに幸せだろうと・・・何を言っているの??と思われるようなことさえ考えてしまうほど・・・成長に望みを持てない苦しさで頭が変になりそうでした。自閉症の子どもには 発達の未来があるけれど、私の息子は 崩壊し続ける重度障害で 一生の全てのことを 誰かのお世話無くしては生きていけず・・・両親の顔さえも 一生わからないかもしれない・・・という怖さでした。今だって、まこちゃんは一人で生きていくことはできませんが、当時の 恐怖感よりは まだ気持ちは少し前向きになってきたと思っています。私たちは この障害と 毎日・・・闘っています。  立ちはだかる様々な壁と闘って 前に前に歩き続けているのですから・・・。