大分県で採用に関して不正があったとされる2008年度採用の教諭が20名ほど、解雇されることになったと報じられた。世間に疎くてよくわからんのだが、採用試験を経て正式に雇用関係が成立したはずの人たちを、採用段階で採用側の内部処理に不備がありましたからと一方的に解雇することが可能なんだろうか。この人たちが生徒への体罰や性的虐待を常習的に行っていたとかならまだしも、現状でこのような解雇のしかたは法律的にOKな話なんだろうか。上級官庁はよく当事者に説明をした上でと言ってるようだが、はじめに解雇ありきで説明ってそれはインフォームド・コンセントとは言わんと思うが。それとも、私は自分の世間知らずぶりを改めて反省しなければならないのだろうか。まあ、法律の話は法律を知らない人間が知らないまま論じても不毛だし、よほど不合理ならモトケン先生のブログあたりに何か出るだろうと期待して、私は現段階ではこれ以上の素人法律論議は控えようと思う。疑問を感じますということだけは明言しておく。心情的にはどうにも気の毒でやりきれない話である。まだなりたてとはいえ仮にも先生と呼ばれる立場の人に、まるで日雇い派遣みたいに明日からもう来なくていいからと一方的に言い渡すってのはどうなんだろう。先生ってその程度のものなのよと先生を束ねる教委自身が吹聴してよいものだろうか。ばれた分だけ切り捨てればいいのよとばかりその年度だけ切り捨て処分して、それ以前の年度はお構いなしとするのは、甘いんだか辛いんだか判然としない話のようにも思えるし。総じて、今回の処分には釈然としない。採用過程での不正も、べつに受験者側が採用側にばれないような仕掛けをしたわけではない。むしろ受験者の与り知らぬところで受験者の身内と採用側とがたくらんだことである。それで受験者が割をくうのはどうにも不公平なような気がする。採用側で不正をしていた人たちのほうは、天網恢々疎にして漏らさず的に処罰を受けたのだろうか。そっちが先だろうと思うのだが。そっちが先だろうという常識を逆手にとって、若い人を処断することで身内への糾弾に幕を引こうという魂胆なのだろうか。それならずいぶん卑怯な話だ。すくなくとも、彼らに今回の処断を言い渡した人たちは、この若い人たちの人生をけつまずかせたのが自分たちの身内だという責任を意識した態度であっただろうか。子供たちを訓導する先生たちをさらに束ねる教委の人なら、その程度の高潔さは身から滲み出てしかるべきかと思うのだがどうだろうか。今回の顛末ではどうしても解雇された若い先生たちの身になってしまう。今回の損得勘定は彼らにとって圧倒的にマイナスだった。自身が不正に関与していたわけでもあるまいに。こうして解雇されるくらいなら最初から雇用されなかったほうがその後の経歴に与える影響も少ないだろうに。地元では固いとされる、それこそ不正を働いてでも子を就職させたいほど人に羨ましがられる仕事についたのが一転して既卒の無職者だ。これから職を探すとしても、よい職があるんだろうか。職を探して歩く先々で、ああ採用試験の不正がばれて首になった元教諭かと後ろ指をさされかねないのではないか。しかし今回解雇された人々にとってもっとも衝撃だったのは、実力で勝ち取ったと思っていた職業が実は不公正の結果であったという、その事実そのものであろうと思う。それを知らなかったのが自分だけという事実がさらに追い打ちをかけたと思う(あるいはそっちが本命か?)。周囲も自分をその程度にしか見ていなかった。就職に際してこれで一人前だと祝福してくれた人々が、陰では自分を半人前と思って不正な下駄を履かせていた。それを知らなかったのは自分ばかり。そういう、いかにも「庇護下にある半人前」の立ち位置に自分があったという事実を思い知らされたことこそが、最大の衝撃ではなかったかと思う。今回、採用取り消しを言い渡されて涙を流した人もあったと報じられ一部ではずいぶん貶されている。しかし同じ立場なら俺も泣くよなと思う(私の両親は私を同じ立場に立たせるような愚か者ではないが)。その涙は解雇に対する涙と言うこともあろうがそれはあくまで二次的なものだろう。まして、けっして、知らなかったから勘弁してくださいという甘ったれた心情から流れる涙ではないと思うのだ。教委は希望があれば臨時採用で雇うとかなんとか人を小馬鹿にしたような恩着せがましいことを言っているが、いろんな意味で、この若い人たちは大分を出るべきではないかと思う。まずもって、この、教委に責任はないと言わんばかりの被害者面が気にくわない。まあ私が気にくわないからって関係ないかも知れないけれど。でもここで頭を下げて臨時採用で残ったとしても、結局はこの団塊の世代な連中に舐められたまま潰しの利かない年齢までいいように使われて捨てられるだけなんじゃないかと思う。社会で生きてゆけば知らないうちに多くの人のおかげをこうむっているということに、いつか気がつくものではあろう。ああ自分一人でがんばっていたつもりが俺はまだまだ皆様のおかげでなんとかやっているのだなあと嘆息することは良くある話だと思う(それとも私だけですか?)。その嘆息が成長の糧なのだと思う。それはそうなのだが、しかし、今回のようにあまりにも根源的なところで不正かつ過剰な横やりが入る環境では、知らず知らずにスポイルされてしまう。全く変質してしまった人生を振り返って、これがあの頃の未来なのかと愕然とすることになろう。それにまあ、そんな親やら恩人やらに取り巻かれた環境で歩き始めるのって息苦しくないですか?と思うのだ。私など小児科医修業を故郷の長崎で始める羽目にならなくて本当によかったと思っている。田舎はどこへ行っても何らかの情報網がつながっている。駆け出し時代の失敗がいちいち親や恩師や恩顧の人々に伝わったらと思うといてもたってもいられない。大手を振って故郷を離れることができただけでも、大学受験へ向けて猛勉強をした甲斐はあったと思う。あのまま親の息のかかるところで医者修業を始めていたとしたら、今の私は今以上にはんちくな人物であったことだろうと思えてぞっとする。いやそれは私のような凡人に限ったことでもなかろう。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康とほぼ同時代に偉人を3人も輩出しながらついに名古屋が都になれなかったのは、中島らも氏の指摘のように、彼ら偉人とて旧悪を知る人々の多い土地を嫌ったということの現れではないだろうか。海外に目を向けても、かのナザレの偉大な大工も、故郷ではろくろく奇跡を起こせなかったと福音書には伝えられている。ヨゼフのうちの私生児が何を言うとるかとか、長男坊のくせに正業に精を出さず新興宗教にはまりおってマリアさんが泣いとるぞとかいう視線に耐えられなかったに違いないと思う。でもこの教委の指揮下にある教師たちって、世間の風当たりが強くなったからって若い同僚を無情に切り捨てるんだから、世間の風向きが変わったら教え子を戦場に送り込むんだろうな。うだうだとそんなことを考えながら新生児搬送1件。1件では空床は埋まらない。今日も重症2/軽症2.