( 国立西洋美術館「コロー」の展覧会へ行った俺様☆ )あまりの暑さに美術館行きにくじけた「私」でしたが、ようやく「美術の宿題」だった「美術館で展覧会を見る」の課題が終わりました。課題と思って美術館に行くと=正直を言えば=楽しくない!宿題なので、作品に対しての「自分の感想」を書いて、チケット等を貼って 提出しなければならないんですね・・・。絵は好きずきなので・・・コロー展に何の魅力も感じなかった俺様はひとこと・・・「ダーク・・・つまらない・・・」インパクトが薄くて・・・「おお===☆」という感動は無くて静かな絵が多かったですね。
( コローの複製画の前で・・・ )ということで・・・俺様は見慣れている 常設展のコーナーに移動・・・そこで、常設展を「5往復」・・・感想が無い・・・楽しそうに絵を見ているけれど、感想を言わなくちゃいけない絵の見方をしたことがないので・・・「好き?」「嫌い?」を聞くだけでも つかれてきました・・・(汗)それでとうとう・・・「好きな絵を選んで教えて・・・ママは疲れたから座っています・・・」と椅子に腰掛けていると・・「好きなの ありました♪」と2枚の絵を選びました。
「マリ=アンリエット=ベルトレ・ド=プルヌフ夫人の肖像」ジャン=マルク=ナティエ俺様の感想=『 やさしい ビューティフル 』
「陽を浴びる歩ブラ並木」クロード・モネ俺様の感想=「ビューティフル 明るい ソフト やわらかい やさしい HAPPY 」
「どんな印象? どんな感想?」と 「想像がしづらい質問」をしても「どう応えていいのか」返事は出てきません。こんな時は『ことばの選択』から感想を引き出していきます。いろんな「言葉」を 私が言葉で出力して 俺様の思っているイメージとマッチングしたら 俺様が言葉を選んで話す。という方法です。展覧会の絵では・・・以前・・・ゴッホの「星降る夜」に見入って 長い時間 立ちつくして見ていた俺様でしたが、常設展のゴッホの「バラ」の絵は嫌いなのだそうで・・・ゴッホだったら何でもOKというわけではないのですね・・。同じ作者の絵でも、ニューヨークの美術館でみた モネの睡蓮(とても大きい)は好きだけど、この常設展の睡蓮は好きじゃない・・・とか・・・ 心に素直な印象が 感想としてでることを うれしく感じています。学校では「一般の子と同じことができなければ『ノーケア。子どもができないことはフォローしない」という文化でしたが、特別支援教育がスタートして 少しずつですが、先生達の考え方にも変化がでています。いままで続けてきた文化や環境、指導のあり方を急にかえることは難しくても、様々な支援を子どもにも先生にもすることで 文化に変化があらわれ、20年後に30年後に社会が成長していることを願っています。過去の9年間の義務教育のなかで、学校の中では「子どもの能力を伸ばす ちょうどの指導・ちょうどの教材」という事は特殊教育では当然ということが言われてきても、本当に子どもの状態にマッチしたものを作るには 今後も改善をすることは必要ということを痛感してきました。いま特別支援教育が展開されつつある普通教育の方が 普通教育と特殊教育の融合という点では上に行っていて、特別支援学校の方が「型にはまった指導法」で 「一人一人の個別支援」といいながらも「学級全体のために一番重い子どもに教育をあわせ、軽度の子どもには手がまわらない」ということも よく聞く話です。先生が行動した方が 手がかからないので「子どもには準備や手伝いをさせない」それが困る〜という話は「普通学級から養護学校に進学」した生徒の保護者から よく聞く話です。『特別支援教育は 軽度発達障害の子どものための改革で 普通学校の改革だから 養護学校には全く関係が無い』として、一番対応が遅れてきた 特別支援学校の改革が求められてきていると感じています。普通学校を特別支援学校が支援していく中で、特別支援学校に何が求められ、何が「絶対的に不足しているか」ということに気がついてほしいな〜と感じています。=もっとも・・・もう関わることは無いのですが・・・。日本は「減点方式」(落ち込みをつくる)の文化ですから、「加点方式」(評価を高めていく)の文化に比べると 文化の成長は・・・加点方式で障害のある子どもを育てられたら 幸せなんだけどな〜〜と感じるこの頃です。展覧会に興味がないけど・・・宿題だから見たくないけど来たという気持ちで見る展覧会と 心躍る気持ちで期待に胸をふくらませて見る展覧会の 印象の違いを感じて 美術館を後にしました。(この夏は まこちゃんが好きなタイプの展覧会がありませんでした)
上野公園の噴水・・・蝉がうるさいくらいに鳴いていました。
お盆過ぎの 平日の夕方・・・このくらい人が少ないと リラックスできます=休日は人混みです
久しぶりの「英・英語のクラス」に行って、ハイテンションで勉強をした俺様☆ 明日はお盆のお休みの振り替えで「英・英語」クラスに行くんだけど〜英語にひたるのがうれしい俺様☆ =私は全くついていけないレベルです。俺様は 母国語が英語で、日本語は第二母国語です。あとはラテン語系の言語を楽しんでいます。私は日本語しかできませんから、家の中では特殊な言語環境になっています。2才で帰国して 記憶の全てが崩壊して 奇跡的にのこったのが英語だけでした。意味もわからず「目の前で崩壊する息子」を 理解することのできない苦しみはじめから障害とわかっていれば・・・早期療育が もっと早くにスタートできたのかもしれない・・と思いました。2才まで 何のトラブルもなく、明るくて快活で まこちゃんにはたくさんのファンの大人や子どもたちがいました。誰にでも好かれて、誰からも祝福されて 人なつっこくて・・・かわいい〜〜と連れ歩かれる子どもでした・・・。手を広げて 私たちに飛び込んでくる あんなにかわいい笑顔だった息子を 突然 失い・・・どんなに泣いても悔やんでも・・・あの日は決して戻ってはこないと わかっていても・・・苦しいのです。あの日の『精神崩壊さえ無かったら・・・・』 いつまでも いまでも・・・わたしは そう思います。そして・・・あの日の崩壊が無かったら、私は 特別支援教育やインクルージョン社会についても、大学病院の中に専門機関をつくることも 行政の中にプレゼンすることも 学校といっしょに取り組もうということも 「縁もなく」「関心もなく」通り過ぎていたと思います。普通に〜ということは・・・「特別支援教育なんて何の関心もなく・・・見たくない物をあえて見せられることに苦痛を感じる・・・少数のために全体が犠牲になる・・・」ということかもしれません =そう私に言った ある小学校のPTA会長の言葉を思い出します。私は いつでも 歓迎されてスタートしたわけではありません。 聞く耳さえ持たないという人の心の扉を開き、声を聞いてもらうために 何度も足を運び、何度も何度も話をしました。そのなかで感じたことは 『話をしながら・・・相手の立場や気持ちを思いやり、相手と手をとるつもりで 押しつけないように 話を聞いていただく・・・』 ということでした。はじめは困難に思えることでも、手をとりあえるように・・・。全てが成功するとは何の約束もありません・・・上に書いたPTA会長のように「反発され、罵倒され、理解無く」終わったケースもあります。ある保護者は普通学級の保護者をまとめて、私に対していろんな妨害をした人もいました=障害がある子どもを持つ同士でも・・・そういうことがあるんです・・・。その人と出会ったことさえ後悔する・・・そう感じた思い出したくない経験もあります。わたしは 困難も挫折もたくさん感じて歩いてきました。いろんなことがあるけれど・・・手を取り合える人も いっしょにがんばって歩いている そんな友達がいるから、こうしてネットで励まし合って、いっしょに歩いていける 泣きながらがんばっているママ達、応援してくれる友達がいるから、私は勇気をもらって 歩いていけると 思っています。2学期がもうすぐスタートします。夏休み・・・もう1回、はじめからスタートしないかな・・・そう思うのは 私も同じ・・・。時間がたりないよ〜〜〜と思いながら・・・中学3年、義務教育 最後の年の時間は 日一日と過ぎてゆくのです。