城繁幸「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」内田樹との対決

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Nice!

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書 (708))城 繁幸 / / 筑摩書房ISBN : 4480064141スコア選択: ※※※※※土曜の午後(午前は仕事)、「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」を一読した。「若者はなぜ3年で辞めるのか」の続編である。どこへ行ったのかと括られると、いかにも落剥したような印象を与えるが、本書では「3年で辞めた」若者がその後もタフに働いている姿が報告されている。報告例では仕事の内容も報酬も充実していて、負け惜しみではなく辞めてかえって成功している。著者は、彼らの姿に照り返されていよいよ輝きを失う、年功序列に代表される昭和の価値観を本書でもてひどく批判している。ひとりでは生きられないのも芸のうち内田 樹 / / 文藝春秋ISBN : 4163696903スコア選択: ※※※内田樹先生は近著「ひとりでは生きられないのも芸のうち」において、「若者はなぜ3年で辞めるのか」を批判している。要約すれば、城氏はけっきょく人生は金がすべてだと思ってるんだろう。こういう主張をする人間は、今は若い者の立場に立っていても、年老いたらこんどは老人の既得権を最大に生かして若者を搾取するんだろうから信用ならない。労働というのは他者のためになされることなのだよ。自分にあった仕事なんて行っててはいかんのだよ。云々。その批判を内田は以下の問題提起で開始する。私が考えこんでしまったのは、これは仕事とそのモチベーションについて書かれた本のはずなのに、この200頁ほどのテクストのなかで、「私たちは仕事をすることを通じて、何をなしとげようとしているのか?」という基本的な問いが一度も立てられていなかったからである。たしかに「若者は・・・」において城氏の著述はもっぱら現状分析にとどまっていた。しかし「基本的な問いが一度も立てられなかった」は内田先生最後まで読んでなかったでしょうと申し上げるしかない。この問いは確かに立てられていた。答えが出されていなかっただけである。その回答を城氏は本書「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」で示したと私は理解する。城氏の「3年で辞めた若者はどこへ行ったのか」を一読したうえでは、内田先生の批判はいかにも昭和的価値観の範疇を出ないもののように思える。釈尊の指に署名して上機嫌な孫悟空を彷彿とさせる。そもそも、城氏の分析によれば今の若い者は年老いたところで今の老人が享受している既得権など手にしようがない。そんなもん期待しようがないと見切りをつけて若者は3年で辞めていくのである。「何をなしとげようとしているのか」という基本的な問いとおっしゃるが、それを上の世代が一度でも立てたことがあったのか?と内田先生に逆に問いたい。それを体を張って示す先達を職場に見いだせなかったこともまた、若者の離職に拍車をかけているのであると、城氏は分析している。何を?昭和の遺残組は滅私奉公と引き替えにした年功序列の出世しかなしとげようとしなかったじゃないかと城氏は反論しているかのように、私には読めた。しかし、内田と城がまったく対立しているかと言われると、どうにも。結局この二人は似たような主張をしているだけではないかと、私には思えるのだがどうだろう。内田先生の、城君の言ってることは間違いなのだよという言に引き続く、人の世のなりたちは本当はこうなってるんだからねと説かれるその説諭は、ほとんど城氏と異口同音のように思えるのだが。振り返るに内田先生は城氏の分析する年功序列型のレールをずいぶん早くから降りてしまって我が道を進んできた大先達なのだから、けっきょく彼の来し方は城氏の理想に近いのではないかとも思える。城氏には、次の企画として、内田先生のインタビューを是非やって頂きたいものだと思う。案外と気が合って、おもしろい対談ができるかもしれない。誉めるばかりでは済まさないという当ブログのポリシーに沿って、「3年で辞めた若者はどこへいったのか」に一矢つっこむとすれば、3年で辞めた連中の皆が皆そんなに信念を貫き通して成功してるわけではなかろうということは是非申し上げたい。城氏の尻馬に乗ってか乗らないでか早々と辞めてはみたけれどやっぱり上手くいかなかったよと、不遇をかこつ人も実際にはあるんじゃないかなと私は思う。それもまた人生と覚悟してその後の道をみずから切り開けるほどの強さを、城氏が思ってるほどの水準でそなえた若者は、城氏が思うほどには多くないんじゃないかと危惧する。内田先生が城氏のような思想を目の敵にされるのも、その危惧をお持ちだからなのではないかと思う。教え子が城氏に毒されて人生を誤るかもという危惧をお持ちなんじゃないか。冷たく言い放つとすれば、城氏はそれにも答えを出しておられるのだが。最近の若者はなっとらんと昭和的価値観の企業の御大がぐちる中、優秀な若者はどんどん海外をめざしていると。しかし、彼らの口からは、それら大企業の名前は一社たりとも出てはこなかった。なんと30人中29人が、外資系企業の名を上げたのだ(ちなみに、残り一人はテレビ局)。一人ずつ志望先を聞いていくうち、だんだんと顔がこわばっていったのを覚えている。 大学名や就職活動に対する真摯さから見るに、彼らは90年代であれば、おそらく日系金融機関や官僚といった道に進んでいた層だろう。少なくともそんな彼らは「日本企業が割に合わない」という事実に、とっくに気づいているのだ。要するに「やる気があって前向きで、アンテナの高い学生たち」から、日本企業の側が見捨てられているわけだ。 ようするに嘆く君らの周囲にはそれだけ質の低い連中しかいないのだよということだ。とすれば、内田先生が、学生が英語ができないとか連立方程式がとけないとか仕事に関する覚悟が甘いとか、あんまり若者を腐してばかりいると、勤務先の大学で内田先生と縁のある若者の質がだんだんと知れてくるということはないのだろうか。学生に迷惑でなければよいのだが。