前回は、適応過程には決まった道すじがあるわけではなくて、私たちの多くが似たような過程をもつのは、偶然に過ぎない、ということを書きました。このような前提に立ち、私たち自身の「発達的適応」について考えてみましょう。ヒトの個体(つまり私たちそれぞれ)の大多数は、多少の違い---それは「個性」などと呼ばれますが---はあるものの、一定の範囲内に収まった、よく似た「からだ」を持ち、一定の範囲内に収まった、よく似た「環境」の中で発達するために、結果として、「偶然」よく似た能力を発達させ、よく似たやり方で環境に適応するようになります。この「一定の範囲内に収まっている個体の集団」を、「健常」あるいは「定型発達」という名前でくくって呼んでいると言っていいと思います。ところが、これに対して、そのような「一定の枠内」に収まらない「からだ」の制約条件を与えられた個体は、その「からだ」の制約条件のなかで、それでも環境に適応するために、「必然的に」独自の発達の経路をたどっていきます。その結果として、現在の行動パターンが形成されているということです。(言うまでもありませんが、ここで言っている「からだ」の制約条件には、運動能力だけでなく、認知・知覚等に関連するものも含まれます)このような行動パターンを取る個体のことを、私たちは、「障害児者」と呼んでいる、と言っていいと思います。