息子は絵を描くことが好きです。
まだ言葉を殆ど話せなかった頃からよく絵を描いていました。
とても個性的な絵を描くので私は息子の絵が大好きです。
息子の絵を人に見せると、「上手だね」とみんな褒めてくれるので嬉しいですが、
私としては、上手と言うよりは、「よく見てるなあ」という感想を持ちます。
そしてその独自の発想と感性にはいつも驚かされます。
普通の人は殆ど見てないような部分を、息子はとても丁寧に詳細に描きます。
「普通」という表現は好きではないけれど、「多数派」という意味として敢えて使ってみます。
息子が見ている世界は、きっと普通と違うのです。
例えば、「車の絵を描いて」と言われたら普通はどのように描きますか?
おそらく真横から見た車を描くのではないでしょうか。
しかし息子は、車内から見た絵を描きました。
そして、ハンドル、メーター、数字、スイッチ類、ロゴマーク・・なども詳細に描きます。
どこの角度からどのように描こうと間違いではない。
ただ、息子の発想が多数派とは違っているだけのことです。
人間の絵を描くときは、顔や手足よりも、着ている洋服の付属品の部分を丁寧に描きます。
ファスナーだったりボタンだったり・・。
きっと息子は人と接するとき、相手の顔よりも、その人が着ている服のファスナーやボタンの形ばかり気になっているのかもしれません。(それは私もそうです)
そしてこれは数日前の出来事ですが
「今日の給食何だった?」と私が聞いたら、絵を描いて教えてくれました。
ご飯やオカズではなく、飲み物として出されたヤクルトの・・蓋の側面に小さく書いてあるロゴ?のようなものを丁寧に描くのです。
普通はそんなところ見ないし描かないでしょう。
息子が今日の給食で魅力を感じたのは、メインのおかずでもなく、ヤクルト本体でもなく、蓋の側面の文字だったのです。見ている世界が普通と違うのです。
自閉症は、その紛らわしいネーミングから「自分の殻に閉じこもっている」「引きこもり」と勘違いされがちですが、けっして殻に閉じこもっているわけでも、引きこもりでも無い。
それなら何故そのような障害名が付いているのか私なりに考えてみました。
人と違う世界、自分だけの独自の世界が見えている。
その世界は狭いかもしれないけど、とても深い。
発明家や芸術家に自閉症者が多いのは、
興味のある分野に深く追求できる能力が備わっている為だと思う。
逆に言えば、自閉症じゃない人が発明家や芸術家になるのは難しいのかもしれない。
独自の限られた世界に没頭することができ、
また、その世界の中で安定を求める人もいます。
そのようなところから自閉症と呼んでいるかなと思いました。
あくまで私が思っただけで本当の由来は知りませんけど。
しかし果たしてこれは障害なのだろうか。
長くなるので続きは次回に。