きょうだい児。

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Nice!

12/10の記事の続き。

「きょうだい児」という言葉を知っていますか?
障害を抱えた子の、兄弟姉妹のことです。

「親の会」や「当事者の会」の他に、
「きょうだい児の会」もたくさん存在することを最近知りました。

「きょうだい児の会」は、“健常の”きょうだいの会です。
内容的には「親の会」と同じようなものかな・・と思っていたのですが、そうではありませんでした。

「親の会」と「きょうだい児の会」の存在意義は、全く別のものでした。

そこには「きょうだい児」の深刻な苦悩がありました。

家では親が障害を持つ子の世話に集中しがちな為、
障害を持たない自分は幼くして疎外感に襲われ、自立を期待され・・

外では「障害児のきょうだい」という奇異な目で見られ・・

子どものときは学校でからかわれ、大人になったら交際や結婚に支障があり・・

そして親の亡き後は、自分が親の代わりにならなければならないのだろうか・・と。

「自分の人生が生きられない」と嘆くきょうだい児たち。

いくつかの経験談を読みましたが、吐き出された胸の内の苦悩に、切なさでいっぱいになりました。

「マラソン」「僕の歩く道」というドラマのことを思い出しました。
どちらも自閉症者が主人公のドラマですが、きょうだい児の心理を詳細に描いた場面がありました。

障害児のきょうだいであることで、今までずっと、言い知れぬ苦悩を抱えていた。
・・にもかかわらず、親は、障害児の世話に集中するあまり、きょうだい児の悩みを見過ごしてしまっていた。

これってとても重要な場面だったんだなあと今頃になって気付きました。

そしてドラマよりももっと悲痛な現実が存在することも今頃知りました。

私は2人目を産むことについて考えたとき、

コミュニケーション方法を学べる相手が息子の身近にいた方がいい・・とか、
息子が1人で寂しそう・・とか。

「息子のため」という思いが根本にあります。

けど、「息子のため」に生まれてきた次の子はどう感じるだろう。

「きょうだい児」の経験談を読むと、「私は兄(姉)のためだけに産まれてきた」と苦しい胸の内を暴いていた人が多くいて、衝撃的でした。

彼らは物心ついたときから「自分は兄(姉)の面倒をみなければならない。自分は親に甘えるのを遠慮しなければならない。いい子を演じなければならない」と感じ取っていた、と言うのです。

生まれてくる子に、上の子を託すような育て方をせず・・
どちらの子にも同等の愛情を掛け・・
そして悩みを抱えているときに気付いてあげられるような親であれば・・何の問題も無いのですが、

今の私にそれが出来るんだろうか。

自分の子なんだからできるに決まっている。と綺麗事を言うことはできますが、それは親目線の理想というか思い込みかもしれない。

少なくとも今の私は「息子のため」・・という思いがあるのだから、このような思いを抱えた状態で次の子を産めば、たとえそれを口にしなくても、必ず子どもに伝わってしまうと思うのです。

だから今の私には子どもは産めません。

いつか、誰の為だとか関係なく、心底から子どもが欲しい、と思えるときがあれば、その時に改めて考え直そうと思います。