I'll be seeing you

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Nice!

寒くなった途端にコートを着込み、ニューヨークの街は黒い人だらけになる。
それほどまでに、黒やダーク・カラーが好きなのは冬の街のイメージなのか?
もっとカラフルであっても良さそうなのに、暗い色を選ぶ。

公園に行けば人影もまばら。さらにサマータイムの終了も重なり、5時過ぎには真っ暗になってしまうのだ。

次男がミドル・スクールに進学をした夏休み後からは、一緒に公園にも行かなくなった。一緒に行かなくなった最後の日はいつだったのだろう?

そんなことを思いながら、アッパー・ウエストに駐車してから仕事場まで歩いてゆく途中に視界に飛び込んで来たのは、11年前にベンと2人でバスを待ったコーナーだった。

生まれて1週間後のチェックで黄疸と診断された次男は、マンハッタンのウエスト・サイドにある病院に入院する。イースト・サイドのアパートからベンを連れて、お見舞いに行く為のバスを何度か乗り換えたのがこのコーナー。

どんなに注意しても動き回る多動のベンを、ここに入っていなさいと押し込んだのが、駐車場の非常口。ドアと歩道の間にある狭く凹んだ部分が僕にとっての最大限のアイディアだった。

どうにもコントロールの利かない子供と、病気の子供。何だかとてつもなく不幸な気がしてしまい、バスに乗る頃にはもの凄い顔をしていたに違いない。

プレイヤーのスイッチが入ったように、病院に行ってからも弟の存在を全く気にかける様子の無いベンや、保育器の蛍光灯の下に干されたようになっている次男、その照射を均等にするため、数時間おきに角度を変え、ベッドでは無くリクライニングの椅子で2晩を過ごしている妻の事を思い出した。

そんな思い出を振り返ると同時に、何故か思い出したのがベンの生まれる前の頃。17、8年前に音楽学校のワークショップで知り合った友人たちの事だった。手探りの英語で何とかコミュニケートしていたあの頃は、話した事よりもその時の服装や表情の記憶が強い。

不思議な事は起こるもので、演奏を終え片付けをしていると最前列に座っていたお客さんが「Gaku, I used to play with you」と声をかけてくる。

見上げると、そこにはまさにあの頃一緒に演奏していたドラマーが微笑んでいる。その前に少し回想していたのが予習になったのか、顔を見た途端に名前が浮かんで来た。

「スティーブ?」と訊くと、背が高く金髪のアメリカ人らしいアメリカンである彼は、にやりと笑ってうなづいた。

昔話に始まり、いつの日か会わなくなってからの話をすると、お互いにその後すぐに子供が出来ており、彼の子供はベンより一つ年下の13歳、ギターが上手なのだそうだ。

人生の流れの中で、子供の存在というのは突然に太く強い絆を持った人の登場であり、子供の生まれる前の話というのは遠く山を越えた部分の話をしているような気分になるのだった。

それでも今の人間関係の線を辿れば、一本の糸は切れずに遠い昔の自分につながっている。

僕は特にベンの自閉症ついての話をするわけでもなく、ただ巡り会いや思いで話をひとしきりしたところで握手をして別れ、振り返ればたった今演奏したメンバーも、あの頃からのつながりでずっと一緒に演奏してきた仲間であることに気がついた。

真冬の公園のブランコ、大学の部室のドア、今は跡形も無いライブハウスの入り口。最後に見た風景の連続で糸はつながり、今見ている景色があった。