一人でどこかへ出歩いてもらえたら、と心から思うのはいつもこの時期だ。サマー・スクールが終わってしまってから3週間、毎日の予定もどうにもつぶしの利かない状態が訪れる。
実はベンだけではなく弟の方も、毎日どこかへ連れて行ってもらえる状態が当たり前になってしまっていて、ベンと一緒になって「今日はどこへ行くんだ?」と始まる。
ただ、今年になってから弟の方は近所の仲の良い元クラスメイトと、公園に行ってくれたりお互いの家で遊んだりしてくれるようになった。だが、これも今年になってから始まったことで、去年まではこうした友達との交流というのも断ち切れてしまうのが夏休みだった。
大多数が共働きの家庭であるマンハッタンに住む子供達の夏休みは、殆どがデイ・キャンプに費やされているのもうなづける。だから、逆に何も予定の無い日を探すのが難しいくらいに子供は忙しかったりもする。
最近は子供にちょっとした運動をさせるトレーナーの人も公園で見かけるようになった。
ラジオ体操に行ってから夏休みの宿題をやって、午後は自転車で意味も無く走り続けていた自分の思い出からは考えられないほどの情報と物に溢れ、スポーツをする事にさえもお金を払わなければいけない。
ベンは友人もおらず、一人で行動することが出来ないので大変ではあるが、本質的な部分はどの子供も抱えている問題なのだろう。
先週はパスポートの申請に48丁目まで歩いた。NYでは歩行者の信号無視は当たり前で、殆どの人が歩道からせり出して渡るチャンスをうかがっている。車が途切れたり、来なければ素早く渡ってしまうのだが、交差点の横断を一人で出来る様にするために1つ1つの信号をきっちり守ってゆく。
ところが、歩行者信号が青になると、車の信号も青になるため左折や右折の車が横断歩道を通過することになり、これが逆に危険だったりする。日本の様に歩行者が渡ろうとしていたら、待ってくれるなどということは無く、チャンスがあれば車の方も歩行者より先に行こうとするのが当たり前なのだ。
だから歩行者信号が青でも、絶対的信頼のある横断が出来る事は無く、曲がって来る車の事を注意しながら横断することになるのだが、これは自閉症者にとって大きな問題だ。
信号は横断して良いと言っているのに、車が入ってくるので注意しなければならない。おまけに歩行者信号は赤なのに、車が来なければ人波は横断歩道をつき進み、一人だけ信号に従って止まれば倒されてしまいそうだ。
ベンは「STOP」と言って立ち止まり、待っている。待っている間は他の事を考えているようで、僕らの様に車の来る方向を見ていたり、信号を見つめていたりはしないのだ。そして、ふと気付いたように信号を見て「WALK」と言って渡り出す。
すべてが正しく、ベンは交差点を横断出来るのだが、そこには侵入してくる車に対する注意が必要なのだった。これは人との距離や、関係を把握するのと似た技能のように思え、あの磁石のような感覚はベンにはまだ難しい分野でもあった。
一人で出歩くのが一番困難な街で、長いチャレンジは続く。