次男は、自閉症児。只今、5才6ヶ月。一見、どこにでも居そうなちょっと変わった子に見られる。それがゆえに、眉をひそめられたり、甘やかしている風にも見えたり、育て方次第で天才になると未だに言われたりしている。”甘やかし”については、絶対に私は甘やかしていない・・、とも言いきれないところが辛いところではあるが、それを差し引いても、次男の行く手に「誤解」は付き物の毎日なのである。道端で、世間話程度に話しかけてくる人間に、いちいち、「自閉症なんです」と言い回るものでもなし、次男を交えての周囲との会話には、私が通訳するか、代弁するかで、そつなくその場をやり過ごしている。でも時々、次男の代弁をするのも精神的に辛い時がある。気にしなくていいものを、なぜかその日に限ってと言う事があるのだ。言っちゃえばいいのよね、気軽に。「うちの子、自閉症でね、会話があんまり得意じゃないの。」そう言ってしまいたい、と思う事が最近になって増えてきた。普通に、挨拶代わりに声をかけられるのは当然だ。そして、次男のレスポンスがあるまで話しかけてしまうのも当然な話。話しかけられて困るってことじゃない。むしろ、嬉しいし有り難いと思っている。反対に、次男が見た目に話しかけるのに躊躇してしまうような雰囲気で、話しかけにくいと思われるのもそれまた心外だし、悲しい。まことに、私の心は複雑極まりない。でも、それを言ってしまったら、気まずい沈黙が生じる。過去にそうであったように・・・。明るく、その雰囲気を笑い飛ばしてしまえばいいのよね。「会話で通じないことが多いけど、気にしないでね~。」な~んて風に・・・。そう、その方がスマートなんだ。しかし、昨日、この会話の順序を誤ってしまった。「会話があまり出来ないの、ごめんね~。」と言っても尚、次男には理解不可能な高レベルな会話のレスポンスを待ってるので、「自閉症だからまだ会話が出来ないんです!!」・・・と言葉尻り強く、き、き、近所のおじちゃん相手に叫んでた。とほほ・・・・・・・。ごめんなさい、おじちゃん。(私もオバちゃんだが)とんだ災難だったよね、事情も知らないのに・・・。自閉症って障害すら知らないかもしれないのにね。懺悔します、本当にごめんなさい。強く賢い母になれるよう、より一層精進いたします。