さて、段階的認定制度の基づいた弱者支援のシステムの最大の問題点の1つは、それが「認定制度に基づいている」という、まさにその点にあります。と書くと意味がわからないかもしれませんが、非常にシンプルに言えば、認定制度に基づく弱者支援システムのもとでは、その認定制度が用意されていないようなタイプの弱者にはそもそも支援が提供されない、という問題です。例えば、最近も少しニュースなどで話題になっていましたが「難病」に対する支援制度というのがあります。指定された難病にかかった・かかっている人について、医療費の補助や免除等などの支援が提供されるシステムですが、このシステムでは、「難病に認定されるか否か」が決定的な重要性をもちます。ある病気が、その困難さが十分に理解されず、実際の「困窮度」が深刻であるにも関わらず難病認定されなかった場合、どんなにその病気で苦しんでいてもこのシステムからの支援はゼロになってしまうわけです。さらに厄介なことに、このシステムでは構造上、「新しい病気」には支援が提供されません。その病気が認知されて、困窮度が理解されて、法改正などのチャンスがあって、そこでその病気が認定されて、それから初めて「支援」が始まるわけですが、そこまで到達するまでの間にその病気になった人は、十分な支援が与えられずに苦しいままで生きていくことを強いられるわけです。こちらが、何度も出ていますが、「段階的認定制度」による福祉サービスのイメージです。グラフの左下にある「段階的に提供される福祉サービス」によって、水色の「その人が得られる最終的な利得」が底上げされ、福祉によって弱者の生活が支えられていることを示しています。ところがこれに対して、「認定制度で拾われず、救済されない弱者」の方のモデルは、こうなってしまいます。認定制度がない、ということは、福祉サービスがされるような「認定」が起こりえないため、それに基づいた支援が提供されることもない、ということを意味します。ですから、当然先ほどあったような左下の「福祉サービスによる支援」が存在しなくなるため、その人が得られる社会からの利得は「初期状態」のグリーンの点線のままに留まります。この状態で、もし左下の「認定制度があれば重度認定」のゾーンに入るような人がいたら、それこそ生きていくだけでも大変な困難を伴うことになると想像できます。ところでこの問題、実はこのブログがメインテーマとしている自閉症、発達障害でまさに起こってきた(起こっている)こともあります。知的障害のない発達障害の人は長らく制度的に「困っている人」と「認定」されず、支援を受けることができませんでした。この問題は、「発達障害者支援法」の制定によってようやく「認定する仕組み」が動き出したといえます。このように、「段階的認定制度」については、「段階的」という部分にも問題があり(でも、だからといって「連続的」に認定すればうまくいく、というものでもありませんでした)、さらに「認定」するという制度の基本そのものにも大きな問題があることがわかります。では、どうすればいいのか?だんだん、察しのいい方は気づいてこられたかと思いますが、このあと考えていくのは、「認定制度」が必要なく、さらに支援が「連続的」となり、さらに「マイナスのインセンティブも発生しない」という、ある意味理想的なシステムになります。(次回に続きます。)