障害者いじめの一つの「形」-「聲の形」から(14)

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Nice!

さて、本シリーズエントリでは、もともとの出発点だった、まんが「聲の形」からは離れて、簡単な数値的モデルを束って「福祉社会だからこそ起こるようなタイプの「障害者いじめ」とはどのような構造で発生するのか」について考えてきています。前回までで、その「現象」の説明は終わったので、今回からはその問題に対する解決法、ソリューションについて考えていきたいと思います。この「弱者いじめ」の構造、根っこにあるのは、弱者に対する「実際にはそんなに困っていないはずだ」という誤解です。その誤解があるために、社会から与えられる福祉が過剰であり、弱者は焼け太っており、既得権として「甘い汁」を吸っている、という「誤った認知」にいたり、さらにそこから「人はみな公平であるべきであるという「正義感」に基づいて、弱者に与えられた福祉的サポートを無力化するような私的制裁(リンチ、いじめ)が行われ、かつ正当化される、そういう流れがあるわけです。では、この問題を解決するには、どうすればいいのでしょうか?この答えは「弱者が困っている、苦しんでいることのリアリティを、正しく伝えて理解してもらう」こと、つまり、あえて陳腐な言い方をするならば、社会の理解を深める。ことが、最大の解決法になりますすでに示している「私的制裁を生む誤った利得カーブに基づいたモデル」に対して、「誤解」を解き、「正しい弱者の利得カーブ」をあてはめたモデルを見てみましょう。実はこれは、「元のグラフ」に戻しただけです。そして、この「弱者の利得カーブ」に対して、先の「最低限必要な福祉」を計算してあてはめると、こうなります。この例で言えば、社会の「誤解」を解く=社会の理解を深めることで、「私的制裁によって弱者にペナルティを与えよう」というインセンティブがほとんどなくなり、逆に「弱者への福祉はまだ不十分だからもっと我々で助けなければ」という、「私的制裁」ならぬ「私的福祉」さえ生まれるようなモデルに劇的に変化しています。「社会の理解を深める」というのは、要はこういうことなんだろうと思います。つまり、いくら制度として福祉があったとしても、その福祉を受ける弱者の現状、実態について社会の側に理解してもらえなければ、それは社会からはむしろ不公平だという非難の対象となり、やがては「社会」自体がその福祉を過剰で無駄なものとして切り捨ててしまうことも起こるでしょう。そのような不幸な事態を避けるためにも、弱者にかかわる人たちは、社会に積極的に働きかけ、「理解を深める」努力を不断に続けていかなければならない、ということです。私たちは、ときに「社会の理解を深める」ことを、社会に甘えることであるかのように誤解してしまうことがありますが、そうではなく、むしろそのような不断の努力によって、福祉制度を守り、前に進めていき、それらの結果として誰にとっても生きやすく、必要な支援が受けられる社会を守っていく必要がある、ということなのだと思います。「福祉にはカネがかかる」というのは福祉へのよくある批判ですが、「社会の理解を深める」ことは、実はとてもローコストで効果的な福祉政策である、ということを、このモデルは示しています。(次回に続きます。)※既にまんがの内容とは別のポイントでの議論になっていますが、いちおうまんがのリンクも貼っておきます。 聲の形 第1巻・第2巻・第3巻・第4巻・第5巻大今良時講談社 少年マガジンKC